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ラッセル卿、フ首相に反論 - 50メガトン爆弾に思う(1961年執筆)

* 出典:『朝日ジャーナル』1961年11月19日号,pp.52-53
* 'Thoughts on the 50-megaton bomb.' In: New Statesman, v.62; 3 Nov. 1961, p.638.
*「海外ジャーナル(世界の新聞・雑誌の論調)」のページから

 一方的な核兵器の廃棄を主張しているイギリス百人委員会(Committee of 100)の指導者バートランド・ラッセル卿が、ソ連の50メガトン爆弾の実験を批判して書いた一文である。(参考:★平和行進(デモ)を禁止する?
 ノーバヤゼムリヤでの実験が続いていることに抗議した同氏の声明文に対して、フルシチョフ(ソ連)首相から返書が寄せられたので、その返書の内容の紹介およびその論旨に対する反論をもここで明らかにしている。要旨は次のようなもの。

 ソ連が再開した核実験はついに50メガトン爆弾にまでいたり、平和を愛するすべての友は深いショックを受け、失望を味わった。フルシチョフ氏はこれを平和維持の見地から行なったというが、もちろんそれはナンセンスである。しかし、西側が同じナンセンスでこれに反応することになると、(自由主義国であると主張しているだけに)それはもっとおそるべきことだ。さる10月22日に、私たち百人委員会の委員は、スコット師と私が署名した大型核実験反対の抗議声明をソ連大使館に提出した。それに対してフルシチョフ首相は、実は私にはいささかおどろきだったのだが、長い返書をよこしたのである。・・・。
 それはもう私たちが東西両陣営からの声明ですでになれっこになってしまっているような、例の真実とうそとをとりまぜたものである。フルシチョフ氏は、西側がベルリン交渉の合意にぐずぐずしているのをなげいているが、ソ連提案がソ連側に多くの利益をもたらすものであり、西側としてはとてもそれをのめないということにはふれていない。また、そもそもソ連提案が軍事的脅戚を背景にしているということにもほおかむりしている。彼は、もし戦争となればイギリスが米ソどちらよりも大きな被害を受けるだろうと指摘しているが、だからといって、そのためにいまイギリスで平和運動がさかんなのだなどと考えるのはまちがっている、と私は思う。「人類が核戦争の恐怖を味わうことのないよう、われわれは兵器改良につとめている。」と彼はいう。同じことがアメリカでもいわれているのだ。・・・。
 両陣営のそんな気持ちが誠実なものだとはとても信じられない。両方とも自分だけが平和を愛し相手は戦争屋だ、と考える。自分だけがかぎりない勇気をもち、相手はおどしでふるえ上がる卑怯者だと考える。おどしはおどしを生み、戦争に近づいていく。もしフルシチョフ氏が、50メガトン爆弾のおかげで、西側陣営に平和を愛する心が生まれると考えているのなら、何とも人間の性質を理解していないというほかない、核戦争をなくそうと考えている西側のわれわれ(人々)は、ソ連の実験で失望につき落とされ、また戦争をしたがっている西側の連中は、ソ連が負うべきすべての罪や愚行を心から喜び、それに勇気づけられているのだ。・・・。
 フルシチョフ首相からの返書は、最後のところで一般完全軍縮の必要を説いている。アメリカ海外情報局は、ケネディ大統領が序文を書いた『戦争をさけて』という小冊子を発行しているが、フルシチョフ氏の論も、この小冊子の論も、ともに傾聴すべきものがある。両者とも、同じ軍縮の必要を力説しているのだ。しかし、だからといって、軍縮が到来するとはだれも考えない。なぜならどちらも実はそれを欲していないからだ。とにかく50メガトン爆弾は、軍縮を到来させるに役立つしろものではない。・・・。
 両陣営とも、これから声明を出したい時は、それが相手の声明と違うところがあるかどうか調べてからにするといい、と私は思う。戦争をさけるためには、とにかく'相手のあらさがし'をやめ、おどし合うことをきっばりなくすことだ。・・・
 私はフルシチョフ氏のことばかりいっていたが、西側にも指摘すべきあやまちがある。最近米空軍協会が出版した政策声明書だが、こんなおそろしい文書を私は読んだことかない。それは、こんな結論を出している。「ソ連の目的は悪であるとともに執念深い。アメリカ国民は世界から共産主義をまっ殺するため努力し、必要ならそのために戦う(=武力に訴える)つもりがある。さあ、ねらいを明らかにしよう。」 これは人類に対する死刑宣告ともいうべきおそろしい調子のものだ。それは議会内でも大きな力をもっている軍事産業の巨大な経済力が目標としているところを示している。・・・。
 われわれがいま直面している危険は、ソ連が東の好戦派に屈服して実験再開にふみ切ったように、われわれがこうした西の好戦派の前にお手上げになってしまうことだ。われわれは何としてでも両者に反対し続け、東にはききめがないから西側に何とか勧告をし続けなければならない。おどしに対しておどしをもってこたえず、平和をかちとるとの決意をもって交渉をはじめるようにと・・・。