バートランド・ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』第2部[「情熱の葛藤」- 第2章- Human Society in Ethics and Politics, 1954, Part II, chapter 5
* 原著:Human Society in Ethics and Politics, 1954* 邦訳書:バートランド・ラッセル(著),勝部真長・長谷川鑛平(共訳)『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』(玉川大学出版部,1981年7月刊。268+x pp.)
『ヒューマン・ソサエティ』第2部「情熱の葛藤」- 第5章「結束(団結)と競争」n.3 |
Human Society in Ethics and Politics, 1954, part II: The Conflict of Passions, chapter 5: Cohesion and Rivalry, n.3 | ||
征服によって獲得された大帝国の時代は、キュロスの戦争に始まり、アレクサンダー(大王)やローマによる征服を経て、約千年にわたって続いた。この間ずっと、征服軍は無敵であり、偉大な軍事指導者が自らの支配下に置ける領土の広がりには限りがないように思われたかもしれない。ペルシア人の影響は、軍事や統治の面を除けばそれほど深いものではなかったが、ギリシャ人、そしてその後のローマ人は、自らの文化を獲得した土地に広め、ユダヤ人を除くすべての人々に完全な忠誠をもって受け入れられた。アントニヌス朝時代のローマ帝国は、現代の私たちが国家とみなすような性格をほぼ備えていた。のちに東西の区分(違い)が破壊的な力となったが、この時点ではまだ危険な水準には達しておらず、その主な理由はローマ人のギリシャ崇拝にあった。そのため、ローマ皇帝でさえ自著にギリシャ語を用いることを好んだ。もし当時の統治者たちにもっと知恵と指導力があれば、地中海世界――ガリア、ブリタニア、西部ゲルマニアを含む――は一つの国家として存続したかもしれない。この帝国が滅びたのは、内部の弱点にもかかわらず内側からではなく、外部からの敵の攻撃によるものであった。そして、西方において実際の統治機構としては消滅した後も、人々の感情の中に長く残り続けた。それは、当初は純粋な軍事力のみで始まった手段によって、社会的結束を確立することが可能であることを示す、顕著な一例である。 【参考】(ChatGPT の見解) ユダヤ人がギリシャ・ローマ文化を受け入れなかった理由 ユダヤ教の一神教信仰 ギリシャ・ローマ文化は多神教(ギリシャ神話・ローマ神話)を基本とし、ローマ皇帝崇拝なども行われていました。しかし、ユダヤ教は厳格な一神教であり、他の神々を崇拝することは絶対に許されませんでした。> そのため、ローマ帝国が強要した皇帝崇拝や異教の神々への信仰を拒み、帝国の宗教政策と対立しました。 ユダヤ人の共同体意識と律法の遵守 ユダヤ人社会は「モーセの律法(トーラー)」を厳格に守ることを基本とし、異民族の文化や習慣を排除する傾向が強かった。 例えば、食事規定(コーシャ)や安息日(シャバット)の遵守など、ギリシャ・ローマ文化と相容れない生活様式があった。 ギリシャ・ローマ風の服装やスポーツ(裸体競技)を拒否し、異文化に同化することを避けた。 ユダヤ戦争とローマへの抵抗 紀元1世紀には、ローマ支配への反発が高まり、**ユダヤ戦争(66-73年)やバル・コクバの乱(132-135年)**といった反乱が起きました。 これに対してローマ帝国は、エルサレムを破壊し(70年)、ユダヤ人をパレスチナから追放しました(ディアスポラ)。 現代イスラエルとの関係 現在のイスラエルが独自性を守っていることも、ユダヤ人が長い歴史の中で自らの宗教・文化・アイデンティティを固く維持してきた伝統と深く関係しています。 ヘブライ語の復興(19世紀末~20世紀) シオニズム運動と国家独立(1948年) イスラエル国内の宗教的規範の維持(コーシャ、安息日など) これらは、古代ローマ時代から続くユダヤ人の独自性を守る姿勢の延長線上にあると言えるでしょう。 まとめ ラッセルの言う「ユダヤ人だけはローマ帝国に完全に同化しなかった」という指摘は、単なる歴史的事実以上に、ユダヤ人の独自性を守る姿勢が現在に至るまで続いていることを示唆する興味深い観点と言えます。 |
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