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バートランド・ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』- Human Society in Ethics and Politics, 1954

* 原著:Human Society in Ethics and Politics, 1954
* 邦訳書:バートランド・ラッセル(著),勝部真長・長谷川鑛平(共訳)『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』(玉川大学出版部,1981年7月刊。268+x pp.)

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『ヒューマン・ソサエティ』第6章:道徳的義務 n.16

Human Society in Ethics and Politics, 1954, chapter 6: Moral obligation, n.16


 私達は、もしかすると、「主観的な」正しさと「客観的な」正しさを、人間の行為はそれが自分の良心が認めるものである場合には「主観的な」正しさはあるがそれは「客観的」正しさを保証するものではない、と言って区別するかも知れない。 その場合、「私は何をなすべきか?」という問いは曖昧(な言い方)である。「べき」が主観的な正しさという意味で捉えられるのであれば、私は自分の良心に従うべきである。しかし、客観的な正しさ(これはまだ定義されていない)という意味で捉えるのであるならば、私の行動は、それが承認される前に、より個人的なテストを満たさなければならない。もし、全ての良心が完璧であるわけではないことを私達は認めるならば -私は認めなければならないと思うが- 良心が判断される「客観的な正しさ」の概念を探求せざるを得なくなる。

We may perhaps distinguish "subjective" and "objective" rightness, saying that a man's conduct has "subjective" rightness when it is what his own conscience approves, but that this does not insure "objective" rightness. In that case, the question "what ought I to do?" is ambiguous. If "ought" is taken in the sense of subjective rightness, I ought to follow my conscience, but if in the sense of objective rightness (which remains to be defined), my action will have to satisfy some less personal test before it can be approved. If we admit, as I think we must, that not all consciences are perfect, we shall be compelled to seek for a concept of "objective rightness" by which consciences can be judged.