バートランド・ラッセルのポータルサイト
Home

バートランド・ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』- Human Society in Ethics and Politics, 1954

* 原著:Human Society in Ethics and Politics, 1954
* 邦訳書:バートランド・ラッセル(著),勝部真長・長谷川鑛平(共訳)『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』(玉川大学出版部,1981年7月刊。268+x pp.)

前ページ | 次ページ || 目次

第4章:善(善い)と悪(悪い) n.6

Human Society in Ethics and Politics, 1954, chapter 4: Good and Bad, n.6


 あなたが従業員であれば、失業の恐怖に取りつかれ、労働を生産の手段ではなく、それ自体を目的と考えるようになる。より少ない労働力で所定数のトラクターを生産できるような装置は、生活の糧を失う危険性があるため、あなたの敵意をかきたてるだろう。創世記では、労働は呪いであり、アダムの罪(原罪)がその子孫を断罪するものとして描かれている。しかし現代社会では、労働は祝福であり、その量は決して減らしてはならないものだと考えられている。

 もしあなたがトラクターの購入者であれば、あなたはほぼ同じくらい最終目的から離れている。 トラクターは食料を生産するために使われ、その食料は人々が働いて食料を生産するてめに使われ、その人々はまた働いて食料を生産するために・・・と、無限に連鎖が続きます。この連鎖のなかで、何かがそれ自体でよいといいう考察がはいってくると、まともな経済学者や管理者であれば誰もがそれを軽薄にとっては、取るに足りない余計なことと感じられるであろう。

(わかりにくいので、ChatGPT に説明を頼んでみましょう。

ChatGPT:複雑な文を分かりやすく説明します。
 この文は、トラクターの購入者に焦点を当てており、その行動が最終的な目標から遠ざかっていることを述べています。具体的には、トラクターは食品を生産するために使われ、その食品は他の人々が働くために必要です。これが無限の連鎖の一部であり、その過程でトラクターの購入者が個別の価値を持つかどうかを考慮する余地はないと主張しています。
 要するに、トラクターは食品生産を支え、その食品は他の人々が働くために必要です。このプロセスは連鎖反応のように無限に続きます。この文は、この連鎖の中でトラクターの購入者が最終的な価値を評価する必要はないと主張しています。
If you are an employee, you will be obsessed by the fear of unemployment, and will therefore come to regard work as an end in itself, not as a means to production. Any device by which a given number of tractors can be produced with less labour will rouse your hostility, since it creates a risk of your losing your means of livelihood. In Genesis work is represented as a curse, to which Adam’s sin condemned his posterity, but in the modem world it has come to seem a blessing, of which the amount must on no account be diminished.

If you are a purchaser of tractors, you are almost equally removed from ultimate ends. The tractors are to be used to produce food to enable men to work in producing food to enable men to work . . . and so on in an endless chain, in which the intrusion of any consideration of what is good on its own account would be felt by every sound economist or administrator to be a frivolous irrelevance.