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バートランド・ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』- Human Society in Ethics and Politics, 1954

* 原著:Human Society in Ethics and Politics, 1954
* 邦訳書:バートランド・ラッセル(著),勝部真長・長谷川鑛平(共訳)『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』(玉川大学出版部,1981年7月刊。268+x pp.)

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第2章:道徳規範 n.3

Human Society in Ethics and Politics, 1954, chapter 2: moral codes, n.3


 このような道徳規範の多様性を考慮すると、ある規範が他の規範よりも優れていると判断する(決定する)方法を見出すまで(見つけない限り)、ある種の行為は正しく、ある種の行為は間違っていると言うことはできない。あまり旅行したことがない人達全ての自然な衝動は、この問題(問い)を非常に簡単に決着をつけようとするものである。(即ち、)自分の属する共同体(社会)の規範は正しく、他の規範は、自分達の規範と異なる場合は、非とされるべきである(ということになる)。自分の属する共同体(社会)の規範が、超自然的起源をもつ場合には、特にこの立場を維持するのは容易である。この信念のおかげで、宣教師達は、セイロンでは「人間(人類)だけが卑劣(不道徳)である」と主張することになったが、児童労働(幼年労働)によって富を築き、「原住民達」が木綿の衣服を着るようになるだろうと期待して布教を支持した英国本国の製綿業者達の「卑劣さ」に宣教師達は気づかなかったのである(訳注:ここでは、英国人の二重基準について言っている。つまり、動物は「自然な衝動に従っているだけ」であり、人間からみて残虐な行為をしているように見えても、それは人間のような善悪の判断はできず、自然に行動しているだけなので「下劣ではない」という意味あい。宣教師達は、「人間の下劣さ」を並べ立てるが、宣教師たちは自分質の二重基準に気づいていない。宣教師達の二重基準は「下劣」と言えるのではないか、といったニュアンスか?)。しかし、多様な多くの規範が全て同じように堂堂たる起源を主張するとなると、哲学者(というもの)は、他のものにはない有利な論拠があるというのでなければ、どれ一つも、受け容れることはできないのである。
 
In view of this diversity of moral codes, we cannot say that acts of one kind are right or acts of another kind wrong, unless we have first found a way of deciding that some codes are better than others. The natural impulse of every untravelled person is to settle this question very simply: the code of his own community is the right one, and other codes, where they differ from his, are to be condemned. It is especially easy to maintain this position when one’s own code is supposed to have a supernatural origin. This belief enabled the missionaries to hold that in Ceylon "only man is vile" and not to notice the “vileness” of British cotton manufacturers who grew rich on child labour and supported missions in the hope that "natives" would adopt cotton clothing. But when a number of divergent codes all claim an equally august origin, the philosopher can hardly accept any one unless it has some argument in its favour which the others lack.