バートランド・ラッセル『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』- Human Society in Ethics and Politics, 1954
* 原著:Human Society in Ethics and Politics, 1954* 邦訳書:バートランド・ラッセル(著),勝部真長・長谷川鑛平(共訳)『ヒューマン・ソサエティ-倫理学から政治学へ』(玉川大学出版部,1981年7月刊。268+x pp.)
第1章 n.15 |
Human Society in Ethics and Politics, 1954, chapter 1, n.15 |
人間は、文明化し始めるにつれて、単なるタブーでは満足できなくなり、神の命令や禁制を代用する(ようになる)。モーセの十戒は「神はこれらの言葉を語って言われた」(「出エジプト記」第20章一〕で始まっている。 「法の書」(注:「モーセ五書」)を通して語りかけるのは主(しゅ)である。神の禁じることを行うことは悪いことであり、また、罰せられるであろう。たとえ罰せられなかったとしても、悪いことには変りないであろう。このようにして、道徳の本質は服従となる。基本的な服従は、神の意志への服従であるが、しかし、多くの派生的な服従形態が存在しており、それらが是認されているのは、社会的不平等が神の制定せられたものだとされている(こと)のためである。 臣下は王に服従しなければならず、奴隷は主人に、妻は夫に、子供は両親に服従しなければならない。王はただ 神にだけ服従の義務があるが、もし王がこの義務を欠くと、王もしくはその人民が罰せられることになる。(イスラエルの)ダビデ王が人口調査を行ったとき、統計を毛嫌いする主は疫病を下し、その疫病で何千というイスラエルの子どもたちがなくなった(「歴代志上」第二一章/1 Chron. xxiは「1 Chronicles 21」)。このことは、王が徳高き者であることがすべての人にとっていかに重要であったかということを示している。聖職者が権力をもちえたのは、部分的には、彼らが、ある程度まで、王に罪を犯させないようにすることができたこと、また、ともかくも、間違った神を崇拝するというようなより重大な罪を免れるように保つことができたということ(事実)によっている。 |
As men begin to grow civilized, they cease to be satisfied with mere tabus, and substitute divine commands and prohibitions. The Decalogue begins: "God spake these words and said". Throughout the Books of the Law it is the Lord who speaks. To do what God forbids is wicked, and will also be punished ; it would still be wicked even if it were not punished. Thus the essence of morality becomes obedience. The fundamental obedience is to the will of God, but there are many derivative forms which owe their sanction to the fact that social inequalities have been divinely instituted. Subjects must obey the king, slaves their master, wives their husbands, and children their parents. The king owes obedience only to God, but if he fails in this he or his people will be punished. When David took a census, the Lord, who disliked statistics, sent a plague, of which many thousands of the children of Israel died ( 1 Chron. xxi). This shows how important it was for everybody that the king should be virtuous. The power of priests depended partly upon the fact that they could to some extent keep the king from sin, at any rate from the grosser sins such as worship of false gods. |