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バートランド・ラッセル『西洋哲学史』(4分冊版)第4分冊への訳者(市井三郎)あとがき

* 出典:バートランド・ラッセル(著),市井三郎(訳)『西洋哲学史-古代より現代にいたる政治的・社会的諸条件との関連における哲学史』(4分冊版: みすず書房,1959年7月~1959年12月)
* 原著:A History of Western Philosophy, 1945.
* (故)市井三郎氏略歴 (4分冊版第1巻)訳者あとがき

(第4分冊への)訳者あとがき(1959年7月13日)

 上、中、下巻にわかれていた旧版を4分冊とするこの新版も、この巻で完了することとなった。活字が大きくなり、略字、かな書きの増加など、この第1分冊の「あとがき」に述べたような改良が加えられたわけだが、反訳上のいろんな方針について、ここで改めて個条書きにしておきたい。
  1. 人名や地名などの固有名詞は、原著ではみな英語化されているが、本訳書では主として岩波書店の『哲学小辞典』によって、原音に近いカナ書きで示した。第2、3分冊に当る時代はこの点かなり複雑であって、ラテン語が支配した時代と、イタリア、独、仏、英語という風に次第に各国の言語が確立されてゆく時代とでは、異なった発音が用いられたわけだし、東ローマ帝国ではずっと後代までギリシャ語が支配したというような事情がある。本訳書では可及的多くの場合に、それぞれの地方と時代とを考慮して、当時の発音になるべく近い原音を表わすようにしたのである。たとえば英語の「ウィリアム」がラテン語では「グイレルムス」であるように、この点の実行はそうたやすくはなかった。2つ以上の発音が知られている場合には、訳注で説明する労を惜しまなかったつもりだが、カッコ内に記入した欧文名は、原著のままの英語化されたものを用いた。
  2. ただわが国でも慣用になっている呼び名、たとえばユークリッド、エペソ、スペインなどは、なるべくそのままを用いて、原音に近いカナ書き、すなわち「エウクレイデス」、「エフェソス」などは、それぞれ最初にその名称が出てくる個所で注に示しておいた。またたとえば、普通に「イギリス」などという場合、スコットランドや北アイルランドまで含めた意味で用いるために、そのような合併がおこなわれる以前、あるいは以後でもとくに合併前の地域を指している場合には、「イングランド」という名をそのまま用いたりした。
  3. 訳語などはできるだけ慣用によったが、たとえば bishop は中世初期では「監督」と訳し、近代カトリックでは「司教」とするのが普通だが、同じ語が次第に異なった職能を代表するようになったと原著にある説明を活かすために、初期から「司教」と訳しておいたことなど、若干慣例を破っているのがある。それもいずれかの個所で訳注で釈明しておいたはずである。
  4. 原著の脚注にはみな番号がついており、本訳書では(1)、(2)などの数字をつけて奇数頁の左端にまとめてあるが、読者の便宜を考えて訳注は豊富に(4分冊全体でほぼ1000個所)つけた。その簡単なものは、本文中の〔 〕内に小活字でつけたが、比較的長い訳注は、*印をつけてやはり奇数頁の左端にまとめた。番号つきの原注の中でも、〔 〕内の補足はみな訳注である。
  5. ただ訳注をつけるべき事項が2度以上、あるいは巻をかえて出てくる場合は、主として最初に現われた個所にだけ注を附し、巻を違えている場合は、「何々分冊何頁参照」という注意を重要なものにはつけることにした。しかしつけてないものも多いので、読者は索引を活用されて、それぞれの事項が最初に出てくる頁数を参照されるように希望する。これはややわずらわしいが、訳注を巻末にまとめるよりは、本文中に分散させる方が全体としてよりお役に立つと信じている。
  6. 索引は原著では1つにまとめられているものを、本訳書では各分冊ごとに分離してつけた。ラッセルの「まえがき」にもあるように、1人の著者が西洋哲学史の歴史全体をまとめる意義は、部分的な集中的研究では見失われがちな長期間にわたる思想の関連、というものを考え出すことにあるわけで、たとえばプラグマティズムについて索引をひかれる場合にも、この巻だけでなく、第1分冊からひいてみられることを希望する。ラッセルは時代をこえて、あらゆる個所で関連ある思想を縦横に対照しているからである。終巻に索引をまとめると、この点では便利かも知れないが、やはり分冊ごとの方が、全体としての利用便宜が高まると判断した。
 これ以上は蛇足になるかも知れないが、ラッセルが哲学史の方法としているものについて、少し私見をつけ加えておきたい。人間社会のなりたちは、巨視的に見れば、生産諸関係という経済的・物質的な土台と、国家制度や政治、法律、教育上の諸制度、さまざまな階層組織、といった1次的上部構造とでも呼びうるような分野と、哲学をも含めたいわゆる観念諸形態とに大別できるだろう。従来の哲学史の多くは、いうまでもなく第3の分野で哲学の内在的展開のみを追ったものであったのだが、「社会的」と称される哲学史では、第2の分野をかなり素通りして、直ちに経済的土台と観念諸形態とを直結する傾きがあったと思う。ラッセルの哲学史では、主要な努力の1つが1次的上部構造と右に呼んだものと、観念諸形態との関連を明らかにすることに注がれているのである。
 個々の哲学者を、社会的諸形態の結果であるとともに原因でもあるものとして捉える、とはラッセルみずからが語っているコトバだが、結果として思想が形成される一面においては彼は個々人の家庭、生い立ち的環境の影響力を重視している。いうまでもなく社会的諸状況というものを徴視的に見れば、個人的環境の因子は前記の巨視的な3分野が定常的である場合にもさまざまに異なりうるわけだ。「社会的哲学史」を書こうとすれば、思想にもっとも大きい直接的作用を及ぼすところの、この個人的環境と社会の中間的構造(前記の第2の分野)との関連が、まず実証的に明らかにされる必要がある。この背景を画き出すラッセルの文学的力量が、「電車の中でも読める」面白さをつくり出している。いわゆる「逆規定」、つまり哲学が社会的諸状況の原因となるいま1つの側面については、体系的な思想が情緒や価値感をも含めた非体系的な風潮とでも呼びうるものを媒介として作用してゆく過程を、いろんなところで逸話を配剤させて論じている。彼自身が、過去半世紀にイギリスの知的風土を変えた有力な原因の1つであった。そのラッセルは、現世紀後半に人類が直面する思想的課題を、若干の個所で予言的句調をもって語っている。終章の「論理的分析の哲学」を創始した1人でありながら、彼はみずから社会に働きかけてきたこの能動的主体性の故に、単なる「論理分析」をこえて哲学の伝統的機能をも、おのずから果すことになったといえるであろう(写真出典:R. Clark's B. Russell and His World, 1981)
 最後に、旧版が出ていらい、訳者の注意をもれた不適訳や脱落(全体で2ヵ所あった)を知らせて下さった読者の方々のご親切に、心よりお礼を申し上げる。索引作成に助力を受けた愛知学芸大学の学生諸君や、改版の校正などお手数をかけつづけのみすず書房の方片にも、改めて謝意を表しておきたい。
 1959年11月29日 訳者