バートランド・ラッセル『西洋哲学史』(4分冊版第1巻)訳者(市井三郎)あとがき
* 出典:バートランド・ラッセル(著),市井三郎(訳)『西洋哲学史-古代より現代にいたる政治的・社会的諸条件との関連における哲学史』(4分冊版: みすず書房,1959年7月~1959年12月)* 原著:A History of Western Philosophy, 1945.
* (故)市井三郎氏略歴
(4分冊版第2巻)あとがき (4分冊版第4巻)あとがき
* 4分冊版の第2、第3分冊、即ちラッセル著作集第12,13巻には「訳者あとがき」なし。
訳者あとがき(1959年7月13日)(4分冊版第1巻所収)
Bertrand Russell, A History of Western Philosophy and its connection with political and social circumstances from the earliest times to the present day(1946)(松下注:1945年のまちがい。第二次世界大戦中,1944年に英国にもどるまでラッセルは米国に滞在していたため,『西洋哲学史』はまず米国で1945年に出版され,その後,1946年に英国で出版された。) の全訳である本書が、こんど(ラッセル)著作集の一部として4分冊に改版されるに当って、あらためて旧訳を全体にわたって検討してみたが、けっきょく、次のような諸点に手を加えるにとどまった。
(イ)若干の不適訳を改め、1ヵ所の短かい脱落を補充した。いまわたしは、あらためて長い解説をつけようというような気持がわかない。おのずから語る、というコトバがあるが、これは大部な哲学史の本でありながら、どのような見地から書いているのかを、おのずから明らかに読者に語っている。「哲学史の本でありながら、」とわたしがいうのは、わが国で「哲学史」といえば、文献学的な訓こ注釈のたぐいであることが多く、「哲学史家」は自分の現在の考え方からして、過去の哲学者の教説をどう判断しているのか、といったことを軽々に論ずべきではない、とされる習慣がまだ根強いからである。文献学者もたしかに必要である。しかし、文献学的「哲学」がそのまま哲学である、と考えられすぎる傾向をわたしは指しているのである。
(ロ)聖書からの引用文はすべて、文語体の旧訳をやめて現代語訳を採用した。
(ハ)漢字を全面的に略字に変え、またかな書きの部分をふやした。
(ニ)この著作集の慣例にしたがって、比較的短かい訳注は旧版の通り本文中に残した――ただしいちいち「訳注」としるさず、[ ]内に挿入――が、長い訳注は奇数頁の左端に*印で入れることにした。 (ホ)索引はすべてつくり直して、各分冊ごとにつける方針を通した。
これに関連して、旧版のあとがきの中から、次のくだりだけを書き移しておくことにしよう。
「ラッセルがわが国の哲学界から見てことのほか個性的である点は、各哲人にさかれたページ数の半分近くが、それぞれの哲人に対する批判〔あるいは評価〕に費やされていることなのである。小説の個人的な上手下手とは別に、たとえば18世紀の小説よりも今世紀の小説が「進歩」している、あるいはしなければならない、というような議論には承服しないひとびとがおびただしくいてもいいであろう。しかしながら、科学が進歩するようには文学は進歩しない、というのと同じような意味で、哲学も進歩しない、あるいはしなくていい、と考えているひとびとも多くいるのではなかろうか? 小説は芸術制作の1種類であって、哲学は1つの学問である、というわかりきった相違は意識しながら、学問であれば、単なる好悪をこえて妥当性の検討がなされねばならず、その検討がなされれば進歩がなされねばならない、というこれまたわかりきった結論が、事大主義や権威主義の前にボカされてきてはいないだろうか? ラッセルは……そのような権威主義に対する反逆を、めざましく展開しているのだ。とにかくこの本は、実に面白く読める。社会的諸条件との関連を鮮やかに「読ませ」ながら、「勝手な熱」ではなくて、「名察」を感じさせるところは、ラッセル自身の人生体験の深さと、イギリス人特有のドライ・ヒューマーとの融合が、その背景にあるからだろう。ラッセルその人については、この著作集の各巻あとがき、また各巻の月報に優れた素描が次々と載せられているから、わたしは書かない。ただ1つお願いしたいことは、この本の諸主張と、彼の現実に生きてきた態度とが、1つのものすることによってしか、果しえなかったわけだ。」とにかくこの本は、実に面白く読める。社会的諸条件との関連を鮮やかに「読ませ」ながら、「勝手な熱」ではなくて、「名察」を感じさせるところは、ラ、セル自身の人生体験の深さと、イギリス人特有のドライ・ヒューマーとの融合が、その背景にあるからだろう。ラッセルその人については、この著作集の各巻あとがき、また各巻の月報に優れた素描が次々と載せられているから、わたしは書かない。ただ一つお願いしたいことは、この本の諸主張と、彼の現実に生きてきた態度とが、一つのものであることを見落さないでほしい、ということだ。思想家とは、自分の思想に生き方を賭けているひとだ。時がたつほど、そのことの意味が、わたしにとって大きく迫ってくる。
しかしラッセルは、いうまでもなく哲学の異なれる2部分、というものに然るべき考慮を払っている。非個人的な議論によって妥当性の検討がなされうる部分と、そうでない価値感に関する部分とである。後者に関するかぎり、他人への批判は、みずからの価値感を「文学的」に説得すること以外にないのであって、ラッセルはたとえばニーチェ哲学の批判を、仏陀対ニーチェの架空会見記を創作することによってしか、果しえなかったわけだ。」
最後に、かつてこの本を訳す機縁をつくって下さった金関義則氏に、かえりみて新たに感謝するとともに、出版についていろいろごやっかいになったみすず書房の小尾俊人、富永博子の両氏に、かさねてお礼を申上げたい。
1959年7月13日 市井三郎