バートランド・ラッセルのポータルサイト

バートランド・ラッセル『西洋哲学史』(3分冊版の)中巻への訳者(市井三郎)あとがき

* 出典:バートランド・ラッセル(著),市井三郎(訳)『西洋哲学史-古代より現代にいたる政治的・社会的諸条件との関連における哲学史』(3分冊版:みすず書房,1954年12月~1956年1月)
* 原著:A History of Western Philosophy, 1945.
* (故)市井三郎氏略歴

* (上中下3分冊版)上巻へのあとがき (3分冊版)下巻へのあとがき

(上中下3分冊版)中巻への訳者あとがき(1955年4月20日)

 この邦訳の中巻は、原著の Book Two: Catholic Philosophy 全部と、Book Three: Modern Philosophy のうち、ルネッサンス期に当たる第4章までの完訳である。以下全部は下巻として続刊予定であることはいうまでもない。

 上巻の「あとがき」にならって、まず凡例風のことを補足しておく。
 一、人名や地名の固有名詞は、この中巻では「古代哲学」の巻より複雑であって、西欧のラテン語が支配した時代と、イタリア、独、仏、英語という風に次第に各国の言語が明確に確立されてゆく時代とでは、異なった発音が用いられたわけだし、東ローマ帝国ではかなり後代までギリシャ語が支配したというような事情があり、原著ではほとんど英語風に統一されているが、本訳書では可及的多くの場合に、それぞれの地方と時代とを考慮して、なるべく原音に近い発音をカナで示した。例えば英語の「ウィリアム」が、ラテン語では「グイレルムス」であるように、この点の実行はかなりの努力と注意とを必要としたが、2つ以上の発音がよく知られているような場合には、訳註で説明するという労を惜しまなかったつもりである。
 二、原著の脚註は、すべて上巻と同じように、「原註」と記して各文節末に入れたが、とくにわれわれとは馴染みの薄い西洋中世にあっては、ひんぱんに訳註をつける必要を感じ、本巻だけでその数はほぼ400にのぼった。それらを本文中に挿入したことは前巻と同じである。この巻だけを読まれる方々のために、若干重複をもいとわずにつけておいた。
 三、教会関係の訳語など、できるだけ慣用によったが、例えば bishop は中世初期では「監督」と訳し、近代カトリックでは「司教」とするのが普通だが、同じ語が次第に異なった職能を代表するようになったと原著にある説明を活かすために、初期から「司教」と訳しておいたことなど、若干慣例を破っているのがある。それもいずれかの箇所で、訳註で釈明しておいたはずである。
 四、聖書の引用箇所の原註には、どうしたわけかかなりの誤まりが見出された。このような点もできるだけ訳註で注意しておいた。
 五、漢字の使い方に若干、新旧の不ぞろいがあることを自認する。「叡智」を「英知」としている反面、「反譯」とか「反亂」というように、新らしい当て字と旧正字とを混用している場合もある。これは上巻で出版の便宜に妥協したことの惰性であって、寛容を願いたい。
 六、本巻の索引は、例えば「プラトン」にしても、すべて本巻に出てくる場合だけの索引であり、原著にある統一的な索引から、その種のもののみを分離して作成したものであることを、念のために申し添えておく。

 さてこの中巻あたりで、ラッセルが哲学史の方法としているものを、簡単に定式化しておきたい。本書の書評で、「電車の中でも読める面白さ」とか、ラッセルがあまり「独自の気炎を上げている」ことからくる「漫画的面白さ」だとか、さらに「東洋人種に対して不当な軽蔑を示している」といったそれこそ不当な歪曲も一部に流布されているようなので、それらに対して訳者の見解を明らかにしたいわけだ。人間社会のなりたちは、生産諸関係という経済的土台と、国家制度、政治・法律・教育上の諸制度、さまざまな階層組織、といった一次的上部構造と呼んでいいような分野と、哲学をも含めたいわゆる狭義のイデオロギーの3つに大別できるだろう。従来の哲学史の多くは、いうまでもなく第3の分野で哲学の内在的発展のみを追ったものが多かったのだが、マルキシストの側からの哲学史は、第2の段階をかなり素通りして、直ちに経済的土台とイデオロギーとを直結する傾きがあったとわたしは考える。ラッセルの哲学史は、とくにこの中世史で明らかなように、主要な努力を一次的上部構造とイデオロギーとの関連の解明に注いでいるのである。もちろん方々に経済的条件への言及はあるが、哲学に対してもっとも大きい直接的作用を及ぼすところの社会の中間的構造との関連が、まず実証的に明らかにされる必要のあることは言をまたない。中世哲学の枠組をつくり出した教会や修道院制度、またそれを代表し、哲学するひとびとに微妙な影響を与えた法王と皇帝との政治的対立の歴史など、ラッセルがとくに力を入れて叙述している理由は、右のような点にあるものとわたしは判断している。
 この背景を描き出す原著者の文学的力量が、「電車の中でも読める面白さ」をつくり出しているのであり、それが非正統的解釈であるために、「漫画的面白さ」とも評されるのである。この点は例えば、上巻のプラトン解釈やこの巻のトマス・アクィナスのとり扱いに、いろんな正統的立場から異議はあるかも知れないが、わたしはラッセルが無責任な勝手な熱をあげているとは、けっして考えていないのである。1例だけをあげれば、ラッセルのプラトン解釈ときわめて似ている解釈が、ロンドン大学の哲学教授 K.ポパーによって提唱されたりしている(Popper, Open Society and its Enemies, v.1: 1945)のであって、いわば、各人の見解の相違という問題であろう。
 ただ本書においてラッセルが、東洋人に人種的偏見を示している、という批評に封しては、わたしは真っ向から反駁を加えたい。本巻でこの種の問題に対する原著者の見解が、もっとも明瞭に述べられていると思われる箇所は、本巻p.96である。ここを読んで頂けば、もうなにもぜい言をつけ加える必要はないのだが、西欧文化人のなかで、この箇所のように、「今や文明が、われわれにとって快い西欧帝国主義的な芳香を帯びている」ことに警告を発するほどに、気骨のある公正な発言をするひとは数が少ないのだ。最近の水爆問題に関しても、その禁止の方向に世界を動かせるための具体的な提案をしたラッセルが、どれほど東洋の国家に重要な役割を演じさせようとしているか(この提案は、「世界」の本年3月号に訳載されている)、それを知るひとには頭書のような批評は、ためにする歪曲以外の何物でもないであろう。
 ただ1つ、上巻の「あとがき」でお約束したことを、少し述べておこう。それは原著者の、マルキシズムに対する態度である。本訳書p.61に、「過去、未来を通ずる歴史というものに対するユダヤ人の類型的見方は、あらゆる時代の抑圧され不運にさらされたひとびとに、強力に訴えるようなものであった。聖アウグスティヌスはその類型を、キリスト教に適合させたのであり、マルクスはそれを、社会主義に適合させたのである」、とラッセルは述べ、「マルクスを心理的に理解するため」の「対照辞引」を表にしているが、実はこのような箇所と、原著p.783(邦訳では下巻に入る)にある次のようなコトバとは、連関させて読まれるべきものなのだ。すなわち、「べンサムやミルと同じように、マルクスは浪漫主義とはなんらの関係がないであろう。科学的であろうとするのが、常にマルクスの意図であった。……彼(マルクス)は常に証拠に訴えることに熱心であり、科学外のいかなる直観にもけっして頼ることはなかった。」つまりラッセルは、彼のような立場の人間としては、マルクスをかなり正しく見ているのであって、「対照辞引」に見出されるような発言は、マルクスそのひとよりも、その追随者あるいはソヴェートにおけるその政治的実践者について、イギリス知識人の持っている根強い見解を表明したものと見るべきであろう。この問題については、日本でもその著「平和の哲学」で知られるアメリカのJ.サマヴィルが、本原著刊行直後にラッセルに公開質問状を出しているのであって、下巻の「訳者あとがき」でこの点をもっと扱うつもりでいる。

 なおこの中巻に、上巻の正誤表をつけて頂いた。これだけの量のある訳業で、ミス・プリントや誤まりがこの程度ですみそうなことは、訳者の慰めではあったが、読者の方々に、お気づきの点があれば卒直に御叱正頂くことをお願いしたい。訳者として全力をつくしてはいるが、人間の注意力にはいろうがないとは保証し得ないからである。
 本巻には、やはり原著にない哲学者の肖像写真をつけて頂いた。この時期ではアクィナスをぜひ入れたいと思ったが、適当なのが見当たらないため、原著者の高く評価している聖フランチェスコに代替した、という事情を諒承して頂きたいと思う。
 最後に、校正を初めなにかと事務的なお世話になっているみすず書房の富永博子民と、厖大な索引作成に助力を得た妻とに、謝意を表わしておきたい。
 1955年4月20日 市井三郎

 附記 再版以降では初版の誤植を訂正ずみであるため正誤表は省略されたことを注意されたい。