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バートランド・ラッセル(著)『ライプニッツの哲学』への訳者(細川董)あとがき

* 出典:バートランド・ラッセル(著),細川董(訳)『ライプニッツの哲学』(弘文堂,1959年10月刊。5+3+5+8+287+6pp.)
* 原著:A Critical Exposition of the Philosophy of Leibniz, 1900.
* 細川董(HOSOKAWA, Tadasu,1926?~?):1950年春、京大哲学科を主席で卒業。父親は大阪樟蔭女子大学初代学長の細川馨氏。
(参考:女性週刊誌に掲載された細川董氏に関する記事「<シリーズ人間>大学学長の地位を棒に振ってSexコンサルタントになり下がった男」)
* Gottfried Wilhelm LEIBNIZ(1646-1716):日本におけるライプニッツ関連刊行物(簡約版)


訳者(細川董)あとがき

 本訳書はバートランド・ラッセル A Critical Exposition of the Philosophy of Leibniz の第1版(1900年刊)からの本邦最初の翻訳である。原著は今日すでに4版を重ねているが、第2版(1937年刊)で著者の序文が新しく附加された点を除いて、内容の変化は見当らない。版権の都合で第1版から訳した為、第2版の序文は残念ながら、巻頭に掲げる事は出来なかった。ただ、それは本書の現代的意義をライプニッツ自身が語るものとして今日の読者に非常に興味あるものである点をのみ、先ずこの場所を借りて指摘しておきたい。然し、幸い、本書の現代的意義に関しては、巻頭の山内得立博士の優れた序文が、ラッセルに代って、適切な解説の役目を果すであろう。此の事を、我々は最大の喜びとせねばならぬ。
 
 さて、このあとがきで、私は本書に見落され勝ちな、それでいて、最も重大と思われるラッセルのライプニッツ研究の創造性の構造の秘密について次に言及しておきたい。

 (一)
 人を魅する創造的な仕事は偉大な個性によって為し遂げられねばならないと私は思っている。勿論、哲学の研究においてもそうであって、偉大な哲学者の仕事がそうであったし、更に叉、その哲学者を研究する場合においてさえそうであろう。ここに訳出したラッセルのライプニッツ研究は、後者の意味において、ライプニッツの研究である以上に、ラッセルのライプニッツ研究であるといい得よう。本書の標題をラッセルは、「ライプニッツの批判的解説」としているが、かくいうラッセルの本心は恐らく、「創造的批判」にあったのではなかったろうか。「若しも我々が哲学について、しっかりした観念を持っていないでは、ライプニッツの哲学の明白な観念を持つ事はとうてい望めない」(本書十一頁)と豪語するラッセルは、自分の哲学観を俎板とし、その俎上に、ライプニッツをのせ、この俎上でラッセル風の料理を試みていると言える。而も料理の最初の一刃は創造的直観を以って始められ、彼のライプニッツ観にあわない余分は矛盾として暴露され、切り捨てられるべき「ライプニッツの哲学」という料理を彼は我々の前で創造して見せてくれるのである。
 実際ラッセルは、本書の要所要所で自らの研究のかくの如き創造性の秘密をもらしている。それは同時に彼自身の哲学観でもある。
 先づ第一に彼自身の研究の出発点と同時に、その目的をも決定する、創造的直観の秘密について語っている箇所を次に引用する事が出来る。彼は本書一七一頁で、「哲学の問題は演繹以前に存すべきである。定義され得る観念とか、証明され得る命題は、単に従属的な哲学的興味にすぎないものである。定義しがたきもの及び証明しがたきものこそ強調さるべきであり、而も、ここでは、直観以外には、いかなる方法も有効ではないのである。」(下線筆者)と、自己の哲学的興味の所在と直観の有用性についてのべながら、一方で、叉この哲学的興味と直観が、実際に、このライプニッツ研究において如何に発揮せられたかの秘密を次の如く序文の中で、相当詳しく告白している。即ち、「私は、大抵の定評のある註釈書を読み、大抵のライプニッツが書いた私の問題に関連のある論文を読んだ後と雖も、なお且つ、ライプニッツをして彼の多くの意見に導いた根拠に関しては、実は、何もわかっていない事がわかって来たのである。何故に彼は、モナドが、相互に作用し得ないと考えたか、如何にして彼は、識別し得ないものの同一性を信ずる様になったか、充足理由の法則によって彼は何を意味するか――これらのみならず他の多くの疑問はどうしても解かねばならぬものと考えられたが、然し何もわからなかった。私は――多くの他の人達が感じている如く――モナド論は、恐らく筋道が通っているが然し、全く勝手な、お伽噺の一種であると感じたのである。この点に関して私は、「形而上学叙説」及びアルノー宛の手紙を読んだ。俄に一条の光が、ライプニッツの哲学的大建築物のあらゆる最奥の隅々に投げられたのである。私は、大建築の基礎がどの様にすえられているか、その上、如何にして、その基礎から大建築の上部構造が視界に現われてくるかを見た。この表面上は気まぐれな体系も二三の簡単な前提から演繹されうるものであり、それらの前提は、それらからライプニッツが引き出した結論を除けば、大抵の哲学者でなくても、相当数の哲学者は、喜んで承認していたであろうと思われる。私に光明を投じたと思われる箇所は、他の人々にもやはり、その様に考えられるであろう事を望む事は、まんざら理由なきにしもあらずと思われる。この様な訳で私は、当然の帰結として、この様な箇所に含まれる説から始め、モナドの説を、少数の前提からの厳重な演繹として、出来るだけ明らかにする様努力して来た。かくして、当のモナドは、解説の出発点において、あらわれるのではなくして、推論の長い予備的な連鎖の後に於いて、あらわれるのである。更に、私は、かかる評価が正しいとするならば、ライプニッツの哲学者としての価値は、在来の説明から帰結されるような価値とは問題にならぬ程はるかに偉大であると言う事が考えられねばならないと思うのである。」(下線筆者)と。
 この二つの引用箇所を比較して読んでみる時、我々はライプニッツの創造的な哲学の秘密の鍵は、やはり創造的なラッセルの手によってのみ解かれ得たという事を私は痛切に感ずるのである。優れた書物程、表面は一見難解な多様性に富みながら、それにもかかわらず、それを一挙に解く何か秘密の鍵のようなものが存するものである。創造的な仕事を真に理解し、その秘密の鍵をよく解き得る者は、創造的な精神のみである事を私は再認識せしめられるのである。と同時に、私が本書に見出した魅力こそ、この稀有の創造性以外の何ものでもなかった筈である。創造性なき歴史的研究とか、批判のための批判とかは、共に死骸の上に死骸を加うるの類に過ぎず、私には何の興味もない。この点で私は、ペリー・ミラー氏の語っている、永久に共同研究に加わらず、書斎に一人こもり、自己の発掘事業の先頭に立って研究する、十九世紀的な厳かな孤立を守る人文科学者、「孤立せる狼」の姿(Perry Miller, The Plight of the Lone Wolf, The American Scholoar, Autumn 1956)に賛同せざるを得ない。この意味において近世において最も創造的な仕事をしたライプニッツを創造的に理解し批判する事によって、そこに自己の創造性をより以上に示さんとしたラッセルの狙いは、正に的を射ているといってよかろう。

 (二)
 さて、右の引用から、先づ第一にライプニッツの哲学の基礎概念の解明こそラッセルの哲学的興味の所在であった事が明確になる。従来ライプニッツの論理学と形而上学のいずれにライプニッツ哲学の前提を見出すか、即ちいずれに優位を与えるかという点でライプニッツの注釈家の立場は二つに大別された。普通、ラッセル、クーチュラーが前者に、ロッツェ、ルーヴィエ、ブトルーが後者に優位を見出す代表者の如くいわれる。然し、これ程皮相的な見方の(は)ない事が今や明白となる。というのも右の引用で明らかな如く、モナド――これを形而上学的な立場に立つライプニッツ研究家が前提としている――の更に厳密な論理的論証が本書の中心点をなしたという事は、表面的にラッセルに見出される論理的数学的興味によってではなく、むしろ、形而上学的立場に立つライプニッツ研究家以上に、より哲学的に真面目な立場にラッセルが興味を持ったという事が明白となった。ラッセルの興味が本質的に純粋により哲学的たらんとするものであって、単に数学的な演繹の方法に終始するものでなかった事は、ライプニッツの普遍記号法に対する彼の本書での解釈にもよくあらわれているといえよう。即ち彼は「当の普遍的記号法は数学においては最高の重要性を持った観念であったが、哲学においては、三段論法に勇気づけられ、必然的真理の分析的性質の信仰に基づいて極端な謬見を示したといえるのである。」(一七一頁)と明言している。
 モナド論証の前提として、主辞-賓辞の論理学的前提を求めたという点――この点については後に言及するが――にのみ着目して、ラッセルのライプニッツ研究を汎論理主義の名のもとに分類してしまう事は、創造性なき歴史家の劣等観念のなせる業にすぎない。即ち彼等は、ラッセルの研究が、本質的な意味において、論理的か、形而上学的かという二者択一から出たのでなく、哲学的という点にのみ出発点があったという事を見失っているのである。従って、この問題に関連して、ハイデッガー――後に触れるようにこの人はライプニッツの充足理由に非常な興味を示した人であるが――は、「ライプニッツにおいて論理学と形而上学のいづれに優位が帰属するかというような歴史的解釈についての論争は、哲学的に無意味だ」(「根拠の本質」第一章の註)と語っている限り、正しい発言を行っているといえよう。論理学と形而上学についての右のあるべき関連について、ライプニッツの弟子、クリスチャン・ヴォルフが、ラッセルの見たと同じ見解を夙に(つとに)(一七二二年)正当に次の如く公表しているという事は、ライプニッツと同時代の最もよきライプニッツの理解者ヴォルフがライプニッツの哲学の理解者であったと同じ程に、ラッセルがライプニッツの哲学の理解者であるという事の証左ではあるまいか。ヴォルフは、彼の論理学(Logica)の巻頭に附した、哲学序説(Praeliminalis Discursus de Philosophia in genere)の九十節で「生来持って生れた理性により、厳密に、論理学において、存在論の一つ一つが証明されさえすれば、存在論は論理学に優先する」といった形で、論理学が証明の場所としてのみ存在論に先行するという両者の関係をいみじくも道破しているのである。

 (三)
 かくて我々は、ラッセルのライプニッツ研究は、好むと好まざるとによらず、すべてのライプニッツ研究書が目標とすべき目標を大胆に追求したものである事を知り、而も次にそれに到るべき道を自らの創造性によって示したものと考えうるであろう。というのも、先づライプニッツの研究が根本的な意味において、ライプニッツの研究である事を目論む時、誰しもそれを望むようにライプニッツ哲学をライプニッツ哲学たらしめる諸前提の発見によってライプニッツ哲学を再構成するというライプニッツ哲学の根本的理解を目指しているが故である。例えば第一章の冒頭で挙げられるライプニッツの哲学は、体系的な全体としては、世に出なかったにもかかわらず、注意深く調べてみると、すこぶる完全で筋道のたった体系であった。」という卓抜な観点とか、第一版序文の中で述べられている「お伽噺の一種であると感じられるモナドの説を、少数の前提からの厳重な演繹として出来るだけ明らかにする」という独創的なテーマが、私はここで一々実例を挙げぬが、日本の抜け目なきライプニッツ研究家によって字句の一致においてすら真似られているという事は、かえって、ラッセルのライプニッツ研究の目標の如何に普遍的なるかを証示する以外の何ものでもないであろう。そればかりかライプニッツ研究において、その目標をラッセルと共にかかげつつも、結果において、彼等が画竜点晴を欠くのは如何なる理由によってであろうか。これに答えんがためにも我々は、ラッセルが示したこの目標に到る方法を次に吟味してみる必要があるであろう。

 (四)
 この為に己にさきの引用で明らかに見られた如く、一方で、彼の哲学的興味は、所謂形而上学が前提とするもの(モナド)の更に論証にあるとしながら、更にこの論証の前提 ―― 一、悉くの命題は主辞と賓辞とをもっている。 二、主辞は、様々な時に実存する性質の賓辞を持ちうる。(このような主辞は実体と呼ばれる) 三、特定の時に実存を主張しない真なる命題は必然的であり、分析的であるが特別な場合、存在を主張するような真なる命題は、偶然的であり、綜合的である。後者は、究極原因に依存している。 四、自我は実体である。 五、表象は外界の知識即ち、我自身及び我の状態以外の他の実存についての知識を産出する。(本書四頁)―― の認識が直観によらねばならないとするならば、かかる直観はラッセルにおいて如何なる構造を有していたかを我々は卒直に次に問わねばならない。ここにおいて我々は、予めいうならば、直観における彼の方法論的自覚に関しての哲学観を発見せねばならなくなる。即ち「モナド論証の前提の把握において方法論的自覚が直観の主軸を成して、そこに創造的直観を構成していたという事は、ラッセルの場合、見逃せない大きな特徴であるといえよう。この点に関し、次の引用は、ラッセル自らの確乎たる哲学観を表明するものとして重要であろう。彼はこう言っている。即ち「健全な哲学は、総て、命題分析から出発すべきであるという事は、余りにも明瞭な真理であって、論証の余地はあるまい。」(八頁)と。更に、彼は、「知られるものは常に命題である」という事について、「先験的な(a priori)認識において命題を知り、一方、表象において、実存を知ると想定されるが、これは誤りである。我々は、両方の場合に等しく命題を知るのである。表象において我々は何ものかが実存すると言う命題を知るのである。我々は、それがどの様なものであれ、単に、或るものを知るのでない事は、明瞭である。何故ならば単にあるということは単なる想像の中で現存しているに等しいから。表象が明白ならしむるものは、当の或るものが実存していると言う認識である。」(一六四頁)とのべている。
 右の引用によって明白な如く、ラッセルの哲学観の理解なくしては、さきの五つの前提の把握に示される彼の創造的直観の理解も叉全くの無意味なものとならざるを得ないであろう。それというのも、真理が言語によって伝達され得てこそ、健全な哲学といいうるというラッセルの哲学観が確乎としておったからこそ、ライプニッツにモナドの論証の出発点として、主辞-賓辞の論理学を見出し得たのであろう。この事は、さきにかかげた第二版の序文の初めの箇所でも明言されている。

 (五)
 即ち、ラッセルは全くこの第二版序文の冒頭で、クーチュラーの「未刊の作品と断片」の「第一真理」五一八頁~五二三頁の箇所を引用して、モナド論のすべての主要な説が演繹される前提となしている。それは「それ故、常に賓辞、即ち結果は、主辞、即ち、先立つものの中に存在する。そしてこの事の中に一般に真理の本性が存する。更に、あらゆる肯定的真理においては、その真理が、全称的であれ、単称的であれ、必然的であれ、必然的であれ偶然的であれ、この事は本当だ。」という箇所である。ここで問題の主辞と賓辞との一致不一致は、一般には、矛盾律に基いて験せられるけれども、現実的な主辞の実存を主張する命題においては、その偶然性の根拠は、矛盾律のみでは不十分であって、更に充足理由律の適用を受けて、主辞、賓辞の一致の説が保持される。この充足理由律は、主辞の実存の偶然性のみならず、異なった時間におけるその主辞の状態を表現する如何なる二つの賓辞間の偶然的な結合をも根拠づける事によって、かかる主辞が個別的な全体として、その全状態としての賓辞を時間を越えて含む事となる。個別的な実体に本質的な活動性とは、その全賓辞を理解し、演繹するに足る極めて完全な概念を実体が持っているという事である。この活動性の演繹を通じて、如何なる二実体も完全に同じではあり得ない事を結論し、ここで我以外の対象の世界の前提の導入によってモナドが導出されるのである。これがラッセルがライプニッツに見出したモナドの演繹の順序である。ところで興味深い事は、ハイデッガーは、その周知の名著「根拠の本質」(Vom Wesen des Grundes, 一九二九)の第一章で、ラッセルが二版序文で引用した右と同じ箇所を自己の根拠問題の手懸りとして、已に引用しているという事である。ハイデッガーは、ラッセルと異なり充足理由の演繹は我々の目的ではないとして、主辞賓辞の一致は何ものかの根拠の下にのみ一致でありうるとなし、主辞-賓辞の言表関係の根拠を陳述命題より更に根源的な事実に求めるのである。この事実こそ彼によって、根拠の本質、即ち現存在の超越作用として語られるものである。
 事実を事実としてとらえるのは歴史的認識の立場である。然し、更に事実の根拠を問う所に哲学の立場が存する。という事は事実を如何なる場所においてとらえるかという事である。
 ラッセルは巳に右に述べた如く、事実を命題においてとらえた。ラッセルにおいて根拠の場所は命題以外にはあり得なかった。ところが右に見た如く、ハイデッガーは、真理の本質を陳述の性格として規定する立場を越えて、もっと根源的なるものが一体提出されうるであろうかという疑問を自ら提出し、敢てこれに解答を与え、事実の根拠を根源的事実に求めているのである。この根拠を根源に求めるというやり口はもとより、ラッセルの最もいましめる所であって、事実ラッセルは、根拠の場所を根源的事実に求める事は、演繹の順序を仮定にさかのぼる事であり、「かかる手順は、本来、仮定の証明にはならない。判断Aが他の判断Bを予想している場合、仮りにAが真ならば、疑いなくBは真である。しかしそこには、Aを認める為の正当な根拠が叉存在しているとは言えないのであって、これは又、Bを認める為の根拠もないと言う事である。例えば、ユークリッドに於いて、諸君が命題を認めるならば公理を認めねばならぬ。だからと言って、この事は、公理を認める為の理由にはならない。この様な論証は諸君の敵手が貧弱な論客である場合にせいぜいその人目あてになら(ad hominem)役に立つ。」(本書、一七五頁)と述べ、又、一方、「真理の一般的な条件が何であるかとか、命題の性質は何であるかという問題と、いかにして我々は何等かの真理を認識するに到るか、即ち出来事としての認識の起源は何であるかという問題とは峻別されねばならぬ、この二つの問題は、とかく、デカルト以来混同されて来ている。というのも、もし人がそれを知らないと仮定すれぱ、その真理は真理でなくなり、知られて始めて真理となると人々は考えているからである。」と、根拠と根源の混合を深くいましめている。(例えぱ、本書一六〇頁)
 かくて、ラッセル自身指摘した如く、モナド説が、第五前提の導入によって、矛盾したものとならざるを得なかったとすれば、ハイデッガーの根拠の本質の演繹はその企図において、より根源的な事実の導入によって等しく、矛盾におちいっているといえよう。ここに実存哲学全般に通ずる異議が見出されよう。マルセルの肉体の所有や、サルトルの選択はいずれも根源的事実の導入以外の何ものでもなかろう。とするならば、根拠と根源の混同にこそ実存哲学の自己矛盾が見出される。ラッセルのいましめる如く、いかに根源的であっても、事実は事実であり、根拠は根拠である。如何に個人の実存の事実が根源的であろうとも、恰も神が如何に根源的であっても直ちに根拠たり得ぬと同様、人間個人の事実の根源性が如何に高まっても、そこに人間の根拠は見出せない筈である。
 真理は肉体でも、行為でもなく、言葉で伝達されうるのだというラッセルの理性への信仰は、知恵を愛する哲学者として人間の誰しも冒す事の出来ぬ人間の根拠でなければならぬ事は明らかである。かかる意味での「理性こそ世界平和への道を教える」という私のラッセル観に対して、「親切な言葉」と手紙で答えたラッセルが、その後、近著「常識と核戦争」(Common Sense and Nuclear Warfare)で、世界は、理性と死との抗争に直面していると説いているのは決して偶然の事ではないであろう。
 

 私はかつて、他人の書物の翻訳等という仕事を軽蔑する如きまちがった、思想のとりこになっていた事があった。然し今の私はそれが全くの誤りであるという事を知っている。それは次の如き理由によってである。というのも「ライプニッツの弟子クリスチャン・ヴォルフによる哲学用語(ラテン語)の全き母国語(ドイツ語)化の努力が後年、カント、ヘーゲル等の優れたドイツ哲学が世界の哲学として開花する基礎をなした事は有名で、その意味はヴォルフにおける哲学用語の形成の根拠を吟味すれば明らかな処であるが、(拙稿、クリスチャン・ヴオルフの哲学用語について、「哲学研究」第四五〇号参照)我が国の哲学界においては、明治以来、兎に角外国語の翻訳において、哲学用語の全き日本語化が等閑に附され勝ちであって、原書を対照せずしては意味がつかめぬ如き訳本が哲学書の訳本の定石の如く通用している状態を見過す事は出来ない。若し翻訳が従来の如き悲しき存在であるべきならば、そのような翻訳は存在の価値はない。もし用語の全き日本語化がなされておったならば、我が国の哲学界はずっと違ったものになっておったであろうというのが、私が古典語を師事する岸本通夫先生の持論でもあった。私は先生の翻訳観に全面的に共鳴を覚え、この精神に基づき、哲学用語の全き日本語化について出来るだけ新しい訳のあり方を示さんとする工夫に努力した。この点にこそ翻訳という仕事の意義が存在すると思われるが故である。然し私の企ては、実際は、ただただ先生の教えを恥かしめる結果にのみ終っているのではないかと恐れている。

 なお終りにあたり、本書の翻訳を特に慫慂(しょうよう)せられて、第一版を長期に亘り借与下され、今又、訳書出版にあたって特に序文をいただいた山内得立先生を始めとし、草稿について適切な御助言をいただいた大小島真二先生、さきに触れた如く、訳出にあたって、御懇切な御指導をいただいた岸本通夫先生、これら諸先生の御学恩に深く感謝の意を表するものであります。
 更に、本訳書完成のため、さまざまな面で、助力を惜しまれなかった多くの方々に厚く御礼の言葉を申しのべます。誠に本訳書は、かくの如き皆様の真心に支えられてのみ成立し得たものであって、それなくしては、本書は在り得ず、従って、本訳書に何等かの美点ありとせば、それはこれらの方々の賜物であり、著し何らかの欠点ありとせば、それはすべて訳者の浅学韮才の故であります。識者の御批判、御教示を期してやみません。
  一九五九年八月一八日 夙北にて 細川 董