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「<シリーズ人間> 大学学長の地位を棒に振ってSexコンサルタントになり下がった男(細川董)

* 出典:『女性自身』1976年116月4日号,p.65-70.
[冒頭の言葉]
 西の'学習院'大阪樟蔭女子大学(の)元・哲学科教授、細川董(HOSOKAWA, Tadasu)先生(50歳)に、芦屋夫人たちが打ち明けた'私「性」活'/なり下がったとタイトルをつけたが、細川先生にとっては不満かもしれない。セックスを媒体とした人間と人間の通信こそ哲学の奥義、という先生の主張からすれば、むしろ大栄転? とにかく大学という環境ではこの哲学の実践は困難だったわけで、今週は象牙の塔の一段面をレポートする結果になりました。


 六甲山のふもとが、なだらかに海へ向かうそこに、豪壮な邸宅が、美しい庭木にかこまれてつづく神戸の芦屋。
 ここは関西一の高級住宅地だ。戦前からお手伝いさんと電話、飼い犬の密度は日本一といわれた。
 大阪船場の大商人が、数寄を凝らして建てた別宅や、国際港・神戸の貿易商が住むモダンな洋館がずらりと並ぶその一郭から、いまはなやいだ女性たちの笑い声と、おいしそうな料理のにおいが流れてきた。
 「さあ、できあがりました。みなさま、ごくろうさま、どうぞこちらへ・・・」
 20畳あまりの広いダイニングキッチン。テーブルの上には、カキのスープ、玉ねぎのキャミソール焼き、鰆の銀紙焼きが、湯気をあげて食欲をそそる。
 この家の主婦、細川町子さん(45歳)を講師に、近くの芦屋夫人たちが、本格的フランス料理を習っているが、きょうはそのお稽古日。
 若く美しい奥さまたちが、エプロンをはずして、試食のテーブルにつくと同時に、
 「やあ、やあ、みなさん、ようこそ!」
 やおら出現した中年紳士。ツルリと前頭部がはがあがっているかわりに、アゴに黒々とヒゲをたくわえた童顔をほころばせて、
 「・・・とにかく、人間にとって、食べることとセックス、これが一番大切であります。奥さん、この二つをあなたの人生から取り去った場合を考えてごらんなさい。ねえ、何のために生きとるんか、わからんということになるでしょう? そうですとも」
 これがこの家のご主人で、細川董氏(50歳)。またの名をエッチおじさん、越智大学総長ともいう。
 町子夫人のフランス料理の教授もすばらしいが、芦屋夫人たちは、エッチおじさんのセックス講義も楽しくて、ここへ集まるというわけだ。
 「さあ、このこってりしたフランス料理を味わいながら、さらにこってりしたエッチな空想に想いを馳せましょう。みなさんのような、芦屋に住まわれている優雅にして知的な夫人方は、日本の女性の知的レベルをあげるために、もっともっとスケベーになっていただきたい。・・・。」
 夫人たちの笑いの渦の中でしゃべりつづけるこの人は、ただのエッチな中年男ではない。
 関西の学習院といわれる大阪樟蔭女子大学で、昨年夏までは次期学長の最有力候補と見られていた哲学科の教授だった。その哲学者が、どうして象牙の塔を飛び出して、芦屋夫人のセックス・コンサルタント、'エッチおじさん'になってしまったのか。
 それはあとでゆっくり語るとして、まずこの場のハイセンスなセックス会話(?)に耳を傾けてみよう。

 京大卒、西田幾太郎の孫弟子

 「人間は、男にも女にも、芯がある。これがなくてはどうしようもないんですわ。」
 「ホホ・・・。存じてます。男性には、どなたにも確かに芯棒がございますわね。でも女性はどうでしょうか?」
 「女性にもありますよ。大陰シン、小陰シン、女性は欲張りやから二つも持っとる」
 どっと笑いがわく。
 ちなみに、テーブルを囲んだ芦屋夫人たちのプロフィールをちょっと紹介しておく。微妙なプライバシーの問題ゆえに残念ながら匿名で・・・。
 W夫人(29歳)。東京出身で背の高い美人。さりげなく左のくすり指にはめて指輪のダイヤがキラッと光る。時価700万円だという。
 Sさん(27歳)。樟蔭女子大でラテン語を教えた当時の教え子。船場のガラス問屋のいとはんだった。芦屋の名家に嫁いだが、もっとやりたいことをやろうと、咋年離婚した。
 M夫人(42才)。ご主人は大阪の歯科医。彼女は芦屋でマンションを経営し、ハワイにもマンションを持つ。令嬢はただいまアメリカ留学中。
 C夫人(26才)。元厚生大臣のお孫さんの奥さま。
 B夫人(33才)。万国博のとき、ポルトガル館で通訳をつとめた。・・・etc。
 「男だって、チン棒を持っているだけではダメなんです。シン棒を持たな、シン(紳)士 とはいえません」
 「アラア・・・では、そのチン俸とシン棒は、どないなところが違うてますの?」
 「そら、紳士のものは、伸縮自在に出し入れできて、かたい芯がはいってますがな。英語のジェントルマンのジェントルとは、女性にやさしいという意昧ですから、とにかくやさしく愛せる男やなかったら、紳士とは言えません」
 「それやったら、うちの主人は紳士やのうて珍士やわ」
 「あ、ご主人は芯がはいっとらん? ま、柔よく剛を制すというから、やわらこうても 心配はいらん。ただ硬ければいいというなら、スリコギでもコケシ人形でも間にあう。大切なのは機動性です。
 前と思えばまたうしろ、右や左や、ななめ横、弁慶をあしらう午若丸のような、デリケートでダイナミックな運動神経があれば、それは立派な男のチンボルですぞ。」
 こうした話術は、樟蔭女子大の教授時代からのもので、だから女子学生の人気のまとだった。
 彼の父、細川氏は樟蔭女子大学の初代学長。一人息子の彼を愛して、いずれは自分のあとを継がせようと、いつも心を配っていた。
 彼もまた、父の期待にこたえて、昭和25年の春、京都大学の哲学科を首席で卒業。それと同時に、かねて婚約していた町子さんと結婚した。町子夫人とは、終戦直後の焼け野原にイモ畑をつくっていたころ、夕方、肥料をやりに畑へ出ると、いつも顔を合わせた。それから交際が始まったという。先生の授業風に解説すれば、「肥(肥料)を撒いて、恋が実った」のだから、これが本当の'くさい仲'だというわけか。
 ともあれ、彼は、あの西田幾多郎(京大教授の大哲学者)の孫弟子として、ドイツ哲学の父、クリスチャン・ヴォルフの研究では日本唯一の人といわれて、学界の注目をあつめた。
 大学院に籍を置きながら、関西大学の講師をつとめ、35歳になったとき、樟蔭女子大の助教授に迎えられた。37才で教綬。哲学科、ギリシャ語科、ラテン語科を兼任し、44才で学生部長に就任。文句なく学長コースを、まっしぐらに歩いていた。
 当時の教え子で、昭和49年卒業の田原泰子さんは語る。「学生、には、すごう好かれはってなあ。うちの学佼は、いい家のお嬢さんが、いい家に嫁入って、いい奥さん、いいお母さんになる。これが目標いうような校風ですねん。ところが細川先生の講義いうたら、自由に恋愛せよ、フリーセックス結構。それはもう、ほんまに奇抜で、楽しい講義でなあ・・・」

 テレホンセックスは大反響

 「哲学などという科目は、若い女性が心待ちして受ける講義じゃない、と思っていたんですけど、細川先生の授業は学生さんが待ち望んで、大ぜい押しかけるんです」(元細川教授の助手、A子さん)
 それもそのはず、細川教授の哲学の講義は、たとえば、こんなふうなのであった。
 「・・・哲学はギリシアの発明した学問です。ギリシヤ人は、この学問をフィロソフィアとよびました。フィロとは何か。これは'愛する'、'キスする'、'抱擁する'・・・それから以下はご想像におまかせするとして、とにかく熱烈な、愛の情熱と行為を意昧するコトバなんです。
 ソフィアは知恵です。つまり哲学とは、'愛知学'」ということなんであります。
 そしてギリシャの海は、30メートル先まですけて見えるほど澄んでいる。その海のように、ギリシャ人の心はあけすけで、寝るときはまっ裸、昼めしは寝ながら食べる合理主義者でした。つまり、そのものズバリの精神こそ、哲学をつちかう精神的土壌と申せましょう。
 そして、<すべて人間は知りたがりである>というアリストテレスの言葉をひいて、女性は、おさわり好きで、男性はのぞき好き。その証拠に女性はトルコ風呂でマッサージをやり、男性は特出しストリップに血道をあげる云々」と講義は次第に佳境にはいる。「ですから、昼休みや授業のあいまに、学生がワンサと先生の研究室へ押しかけて、いろいろな相談をするんです。先生は、思ったよりまじめに相談にのってくれて・・・。学生部長としては、細川教授ぐらい最適任者はいなかったんです。」(昭和49年卒業生の寺西トシ江さん)
 その研究室のソファの座ぶとんには、大きく、'H'と刺繍してあった。で、学生たちは、「エッチさん」と呼ぶようになった。
 「先生、ベッドインとセックスはべつやと思いません? ベッドヘはいったからというて、あれせんならんこと、あらしまへんやろ? 私、好きな人と裸で寝るだけで、幸せですねん!」
 「そやそや、まったく同感」
 先生、まじめな顔でうなずくと、その学生は笑って、そやかて、結局はしてしまうけど。ハハハ・・・!」
 このあけすけこそ、哲学の精神。体育の時間に、「私、きのう、おろしてきましたので、体育休みます」
 ケロリと言う女子学生やトイレの中から、二人の女子学生がポーッと上気した顔で出てくるのを見たりすると、・・・?! 細川教授は深く感銘した。「性の問題は、顔をしかめて横目でにらみ、知らんふりをしとってはいかん。啓蒙哲学者のクリスチャン・ヴォルフの研究者として、ぼくは性の偏見打破に挑戦しないではいられなかったんです!」
 --去年の7月15日、毎日新聞が「電話テープでポルノ講義・エッチ大学、神戸で学生募集中」という見出しの記事を掲載した。
 6千円の授業料を払うと、電話番号とサービス時間を教えてくれる。ここヘダイヤルすると、エッチな講義が聞ける仕細みで、'越智大学'の学生証までいただける。
 爆発的な人気で、1日ざっと3万人がダイヤルして、電話局の回線はショート寸前というさわぎ。
 ところがこの'越智大学'の総長が樟蔭女子大の哲学教授、細川董先生とその直後知れたとき、女子大生は拍手し、大学の理事などは、まっ青になった。しかも細川教授がテレビのワイドショーなどに堂々と出演し、すっかり'時の人'になってしまった。
 樟蔭女子大の実力者、事務局長の辰馬慎吾氏(50才)は、いまもニガ虫を噛みつぶして「ええ、父兄や同窓生など、四方から非難の声があがってきたので、どうするか、ということで細川先生に相談しますと、先生はそんなに迷惑をかけているとはしらなかった、ということで、自分からやめるといわれたんです。あれからかれこれ1年になりますけれど、細川さん、いまだに樟蔭の元教授ということで仕事をされているんですが、早くその樟蔭の看板、はずしてくれませんかねえ」

 H大学は教育者の良心と哲学的信念で

 いま、エッチおじさんこと細川元教授は、女子大生や芦屋夫人の実態を小説にし、毎土曜日の朝、テレビのワイドショーに出演し、さらに講演の依頼が多くて忙しい。そのうえ、井上覚造画伯に手ほどきを受けた油絵が、この秋の二科展に入選し、来春は大阪の画廊で個展をひらくという。しかも、その合間を縫って芦屋夫人の優雅なる性の悩みを聞いてあげる。たとえば、バーティの席で、ダンスのお相手をつとめたときなど、美しい芦屋夫人がささやく。
 「先生、うちの主人、大きすぎますのオ。私、もうすこし小さくて、やわらかいのが好きなんやけど・・・」
 「なるほど。天保6年の記録によると、じつに55センチという逸物を持つ盲人がおったそうです。彼は分厚いコンニャクに穴をあけて、それをスペーサーにしてですな、つまり間にカマせまして、そうして女性と接したそうです」
 「まッ、そういう方法もあったのオ・・・」
 また、行きつけのスナック「アルカド」で、コーヒーを飲みながら、
 「私、もう、早くらくに死にたいと思うてます」
 そんなことを言う芦屋夫人もいる。これは、もっと充実した生活が送りたいという意味だ、と先生は察する。
 芦屋の奥様たちは、広大な邸宅に住み、いつもご馳走を食べて、お手伝いと運転手にかしずかれているが、たいてい、ひとりぼっち。
 ご主人は例外なく多忙で、外国旅行が多い。子どもたちは日本での教育では不満だから、外国へ留学させる。
 結局、ご主人が家庭に落ちつくのは、ヨボヨボの老人になったころか、または病気で倒れたときだ。
 エッチおじさんは、心からの同情をこめて、「バスルームでシャワーを使って、ひとりで楽しむ法」などを教えてあげたりする。
 あからさまに、「私は現状に耐えられない」と言う芦屋夫人には、ためらわずに「離婚しなさい」とすすめる。
 人間は、人間と通信することがなくては生きられない。セックスは、人間と人間が出会う最高の形であり、セックスを通しての人間同士の通信こそ、もっとも大きな人間の幸福だと信じているからだ。
 彼は胸を張って言う。
 「ぼくは、大学を自分からやめたんと違う。昨年の9月4日、森理事長の家によばれたとき、ぼくの神経では、理事にでもなってくれと頼まれるんかな、くらいにしか思うて なかったんやから。エッチ大学の件で、理事会ひらいて、こう決定したんだと、事務局長や専務理事が深刻な顔して辞任を迫るんで、ぼくはもう、本当にびっくりした。そして言うたんです。エッチ大学は、教育者の良心と哲学的信念でやったことであるし、これを捨てるわけにはいかんとね・・・」
 樟蔭女子大は、専門学枚だった大正から昭和の初期、船場のいとはんが、ばあやに付きそわれて、人カ車で通学したものだという。
 そうした昔ならともかく、いまは授業中に、「妊娠してしもたん、京都のどこへ行ったらおろしてくれるるやろ?」と話し合っている時代だ。
 名門女子大生も芦屋夫人もない。みんなセックスに悩んでいるのに、これをいつまでタブー視しているのだ!?
 よし、婦人解放のためにも象牙の塔をとび出そうと、そのとき、彼は'エッチおじさん'に徹する決意をかためたのだという
 ただし、彼が大学を追われたのは、裏に実権争いがあったためと見る者も多い。
 当時の「大阪新聞」(昭和50年10月6日付)はこう書いている。

 (来年3月まで新しい学長を決めることになっていて、その最有力候補にあげられていた。このため、ある関係者は、「学長候補同士の足のひっぱり合いで'追放'されたんですよ」とみている)

 学内の政治問題に。かかわるくらいなら、彼は逃げ出したほうがいいと思った。
 「学生にも講義しましたが、哲学は愛知学。ぼくはショーペンハウエルのように女は尻の大きなセックスアニマルで、悩むことを知らないなんて思いたくない。世の中に飛び出して、普通の女性と一緒に考えたかったんです。

 性から女性解放を

 ともあれ、いまはのびのびとして、細川家の全員は幸福そう。そしてみんながあけすけにエッチなのだ。
 エッチおじさんの母堂、前学長未亡人の芳さん(73歳)も健在で、ニコニコ語る。
 「大学をやめると聞いたときはショックでしてんけどな、いまはもう、これでよかったと思うてます。息子のことは息子がちゃんとやります。元気でガンバッテくれたらそれでよろし。・・・」
 細川家6人家族の中で、このおばあちゃんもかなりエッチだと聞いた。何しろ面食いで、血圧が高いから医者にかかるが、これも美男のお医者さんでないと気にくわない。ただいま、俳優の池部良そっくりなお医者を主治医にしているとか。
 この家の主人、エッチおじさんは、本来が湿室育ちのボンボン学究。その妻となった町子夫人は、当然、ゴッドマザー。フランス料理の教授で家計を助けるばかりか、エッチな話もボンボン受け答えして、ご主人が芦屋夫人のお尻をナデナデしても、まったく黙殺、平然としている。
 このゴットマザーが、部屋からすこしの間でも見えなくなると、エッチおじさん、何だか心細そそうに、
 「おい、ママはどこへ行きよったん? 何してるねん?」
 と、末娘の敬子ちゃん(10才)が、これも明るく大声で
 「いま、大さなお便りや」
大きなお便り、すなわちトイレの中だということ。
 ほかに長男の泰さん(24才)と夫人の美智留さん(23才)がいて、この新夫婦の和合の結 晶、初孫の誕生を一家のみんなが待ちこがれている。
 「セックスを日の当たる場所へ出そう。それが女性の解放だ!」
 と叫ぶエッチおじさんの家庭は、大学からは追放されたけれど確かに明るい。
 (取材=石飛仁/撮影=斉藤陽一/文=水野泰治)
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