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バートランド・ラッセル 宗教と科学 第5章
実体という概念の効用の全否定(松下 訳)

Religion and Science, 1935, by Bertrand Russell

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第5章 魂と肉体 n.5


ラッセルの言葉366
 このようにして,啓示(訳注:人知ではわからないような事を神が現し示すこと)によらなければ,我々は,ある時見られた事物や人物(人格)が別の時に見られた似通ったものと同一であるか否か,決して確信することはできないと思われた。(訳注:この前の段落と同じく It appeared that の「appeared」は辞書の2番目に出てくる意味の「思われた」。荒地出版社半の津田訳では「明らかである」と訳している。無神論者のラッセルがキリスト教の言っているように「啓示によらなければ〜確かめ得ないことは明らかである」などと言うはずがないことに気づくべきであろう。)実際,我々(人間)は絶えず間違いの喜劇の(間違いの喜劇を引き起こす)危険にさらされている(のである)(訳注:『間違いの喜劇(The Comedy of Errors)』はシェイクスピア作の5幕ものの喜劇で,離れ離れになってしまった双子の兄弟とその2人に仕える双子の召使いが巻き起こす騒動を描いている)ジョン・ロックの影響の下,彼の弟子たち(followers 信奉者たち)は,ロックがあえてやろうとしなかった一歩を踏んだ。即ち,彼らは実体という観念(概念)の効用を全否定したのである。彼らはこう言っている。(即ち)ソクラテス(という人物)は我々が彼について知りうる限りにおいて,その諸属性によって知られる(我々は知る)。ソクラテスは何時何処で暮らしていたか,彼はどんな外見・容貌をしていたか,彼は何をしたか等々について言えば,彼について語るべきことを全て尽したことになる。(つまり彼らによれば)ピンがピン刺し(=ピンを刺しておくクッション)に刺してあるように(帰属するように),ソクラテスの諸属性が内在する(帰属するところの)全く知ることができない核(となるもの)を想定する必要はまったくない(と主張する)。絶対的にかつ本質的に不可知なものは,存在することさえ知ることができず,それが存在すると想定することに意味はない(注:there is no point 無駄である/何にもならない) (と主張する)。

 実体概念(観念) −いろいろな属性を持っているがそれらの属性とも,また,その全ての属性(が合わさったもの)とも異なったあるものとしての(実体概念)− は,デカルト,スピノザ,及びライプニッツによって保持された。また,その強調度合いはかなり減じられているけれども,ロックによっても保持された。けれども,それはヒュームによって斥けられ,次第に心理学や物理学の領域から押し出された(extruded)。このようなことが起った事態についてはまもなく(presently)述べる。(しかし)今のところは,実体概念説(学説)の神学的意味及びそれを斥けることによって生ずるいろいろな困難は我々に興味を感じさせるに違いない(注:its rejection must concern us. 我々の関心を引くに違いない/我々にとって重要であるに違いない)

Chapter V Soul and Body, n.5


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It thus appeared that, apart from revelation, we never could be sure whether a thing or person seen at one time was, or was not, identical with a similar thing or person seen at another time ; we were, in fact, exposed to the risk of a perpetual comedy of errors. Under Locke's influence, his followers took a step upon which he did not venture : they denied the whole utility of the notion of substance. Socrates, they said, in so far as we can know anything about him, is known by his attributes. When you have said where and when he lived, what he looked like, what he did, and so on, you have said all that there is no say about him ; there is no need to suppose an entirely unknowable core, in which his attributes inhere like pins in a pin-cushion. What is absolutely and essentially unknowable cannot even be known to exist, and there is no point in supposing that it does.

The conception of substance, as something having attributes, but distinct from any and all of them, was retained by Descartes, Spinoza, and Leibnitz ; also, though with greatly diminished emphasis, by Locke. It was, however, rejected by Hume, and has gradually been extruded both from psychology and from physics. As to the way in which this has happened, more will be said presently ; for the moment, the theological implications of the doctrine and the difficulties resulting from its rejection must concern us.
(掲載日:2018.10.19/更新日: )