第5章 王権 n.3 - 司教なきところには王は存在せず移住や外国(人)の侵入は,慣習破壊の強い力であり,従って,政府の必要(性)を生む強い力でもある。王と呼ぶに値する統治者を持つ最低水準の文明において,王族は,時には,外国起源(外国からやってきた人々)で,当初,何らかのはっきりした優秀さ(卓越性)によって尊敬を勝ち得てきた(場合がある)。しかし,それは君主制の発達において,普通の(ありふれた)段階かそうでないかは,人類学者の間で論争の的となっている問題である。戦争(戦闘)が王の権力を増大させる上で大きな役割を果たしてきたことは明らかである。なぜなら,戦争においては,統一された司令(指揮/命令の統一)の必要(性)があることは明らかだからである。君主制を世襲制にすることは,王位継承についての抗争から起こる害悪を避ける最も容易なやり方である。たとえ,王が自分の後継者(世継ぎ)を指名する権力をもっているとしても,彼が自分の家族の誰かを(後継者として)選ぶことはまずまちがいない。しかし,王朝は永久に続かず,また,王族(王家)はみな強奪者や外国の征服者から始まっている。通例,宗教は何らか伝統的な儀式によってその家族を(支配者として)合法化する。聖職者(僧侶)の権力は、このような機会に利益を得る。(そのような時には)聖職者(僧侶)の権力は,王の威厳を支持する必須のものとなるからである(come to be ~となる)。「司教なきところには王は存在せず」とは,チャールズ一世の言葉であるが,この格言に類似したことが,王の存在していた全ての時代において真実であった。王という地位は,野心をいだく人々にとってはとても欲しい地位であるので,強力な宗教的是認だけが,彼らが自分自身(の力)で王の地位を獲得するという望みを放棄させるのである。(注:つまり,自分の実力=武力だけで手に入れずに,宗教の威光をかりて権力を獲得するということ) (注:みすず書房版の東宮訳では「王という地位は,野心をいだく人々にとってはじつに堪らなくほしい地位だから,強力な宗教的制裁がなくては,とても彼らの望みを放棄させるわけにはいかないのである。」となっている。東宮氏は,世俗の権力者が宗教を利用して王にのしあがる=王権を樹立すると言っている文脈をまったく無視しており、また「the hope of acquiring it themselves」の "temselves" 自分自身で(自分自身の力で)をまったく無視している。因みに,sanctions の意味は,ここでは「制裁」ではなく「裁可(認可」であろう。) |
Chapter V: Kingly Power, n.3Migration and foreign invasion are powerful forces in the destruction of custom, and therefore in creating the need of government. At the lowest level of civilization at which there are rulers worthy to be called kings, the royal family is sometimes of alien origin, and has won respect, initially, by some definite superiority. But whether this is a common or uncommon stage in the evolution of monarchy is a controversial question among anthropologists.It is clear that war must have played a great part in increasing the power of kings, since in war the need of a unified command is obvious. To make the monarchy hereditary is the easiest way of avoiding the evils of a disputed succession; even if the king has the power of appointing his successor, he is pretty sure to choose one of his family. But dynasties do not last for ever, and every royal family begins with a usurper or foreign conqueror. Usually religion legitimizes the new family by means of some traditional ceremony. Priestly power profits by these occasions, since it comes to be an essential support of the royal prestige. "No Bishop, no King," said Charles I, and the analogue of this maxim has been true in all ages in which kings have existed. The position of king appears to ambitious people such a desirable one that only powerful religious sanctions will make them renounce the hope of acquiring it themselves. |