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バートランド・ラッセル 結婚論 第11章 売春 n.1 (松下 訳) - Marriage and Morals, 1929, by Bertrand Russell

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結婚制度と売春制度の関係


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 ちゃんとした女性の貞操(virtue)は、非常に重要なものであると見なすかぎり結婚制度は、もうひとつ別の制度で補われなければならず,それは、実は、結婚制度の一部と見なしてさしつかえないであろう。(岩波文庫版の安藤訳では "a part of it"を「結婚生活の一部」となっている。これでは「売春制度は結婚生活の一部」ということになってしまう。ここは当然、「結婚制度の一部」、つまり「結婚制度の一部として売春制度」が(必要悪として)組み込まれている、と考えるべきであろう。なお,ラッセルはここで売春制度を肯定しているわけでないことに注意。つまり、「女性の貞操の確保が重要だ」というのが絶対条件であれば、と言っており、ラッセルはそうは考えていない。) 私が言おうとしているのは、売春制度のことである。「売春婦は、家庭の神聖さ及び妻や娘の純潔の防波堤(安全弁)である」というレッキーの有名な言葉を誰もがよく知っている(であろう)。この所感(感情)は、ヴィクトリア朝時代的であり、表現方法も旧式であるが、この事実は否定すべくもない。道徳家たちは(注:Moralist ここでは複数形)レッキーのこの言葉に猛烈に腹を立てて,彼を非難するとともに,自分たちが怒っている理由が(彼らには)よくわからなかった。しかし、彼らは、レッキーの言ったことが真実ではないということをうまく示すことができなかった。道徳家というものは(注:Moralist ここでは単数形)、人々が(道徳家である)自分の教えに従うなら売春はなくなる、と主張する。もちろん、そのとおりである。しかし、道徳家は、人びとが自分の教えに従わないことは百も承知の上である。従って、彼らがかりに従ったとしたらどうなるかという仮定の話を考慮することは、的はずれ(無関係)である。

Chapter XI: Prostitution, n.1

So long as the virtue of respectable women is regarded as a matter of great importance, the institution of marriage has to be supplemented by another institution which may really be regarded as a part of it- I mean the institution of prostitution. Everybody is familiar with the famous passage in which Lecky speaks of prostitutes as safeguards of the sanctity of the home and of the innocence of our wives and daughters. The sentiment is Victorian, and the manner of expression is old-fashioned, but the fact is undeniable. Moralists have denounced Lecky because his remark made them feel furious and they did not quite know why, but they have not succeeded in showing that what he said was untrue. The moralist asserts, of course quite truly, that if men followed his teaching there would be no prostitution, but he knows quite well that they will not follow it, so that the consideration of what would happen if they did is irrelevant.
(掲載日:2016.09.24 /更新日: )