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バートランド・ラッセル 結婚論 第5章 キリスト教倫理(松下彰良 訳)- Marriage and Morals, 1929, by Bertrand Russell

Back(前ページ)  Forward (次ページ) 第5章イントロ索引 Contents(総目次)

カトリック教会の低俗な結婚観

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 子供(をつくること)を結婚の目的の一つと認めることは、カトリックの教義の中においてごく部分的なもの(一部を占めるだけ)である。その認識(注:安藤貞雄訳では it を「キリスト教義」と訳出しているが誤訳と思われる。)は、子供を生むことを意図しない性交である、という結論(推論結果)を出すこと(だけ)で尽きてしまう。それは、不妊を理由に結婚を解消することを許すまでに決して至らなかった(至っていない)。どんなに熱心に男(夫)が子供を望んだとしても、妻がたまたま不妊症(子どもを産めない体)であったら、キリスト教倫理にはその男性(夫)には救済策はまったくない。
 実は(事の真相は),結婚の積極的な目的、すなわち生殖(出産)は、きわめて従属的な役割を果たしているにすぎず、その主目的は、聖パウロの場合と同様、やはり罪の防止(不貞の防止)にある、ということである。姦淫(私通)やはり舞台の中心を占めており、結婚は依然として、本質的には姦淫(私通)よりはやや嘆かわしくない選択肢(代替案)とみなされている(のである)。
 カトリック教会は、この低俗な結婚観を、結婚は一つの秘蹟(sacrament 秘跡)であるという教義で覆い隠そうとしてきた。この教義の実際的な効力は、結婚は解消できないという結論(推論結果)にある。夫婦(カップル)のどちらがどうであっても、たとえば、一方が発狂したり、梅毒になったり、常習的な酔っぱらい(アルコール中毒)になったり、あるいは、おおっぴらに別の相手と同棲しようとも、二人の関係は依然として神聖のままである。そして、ある事情のもとでは、夫婦の別居(a seperation a mensa et foro)は許されても、再婚する権利は決して認められない。もちろん、多くの場合、このために大変な不幸が生じるが、この不幸は神の意志であるから、耐えなければならない(とされるのである)。

Chapter V Christian Ethics

The recognition of children as one of the purposes of marriage is very partial in Catholic doctrine. It exhausts itself in drawing the inference that intercourse not intended to lead to children is sin. It has never gone so far as to permit the dissolution of a marriage on the ground of sterility. However ardently a man may desire children, if it happens that his wife is barren he has no remedy in Christian ethics. The fact is that the positive purpose of marriage, namely procreation, plays a very subordinate part, and its main purpose remains, as with St. Paul, the prevention of sin. Fornication still holds the centre of the stage, and marriage is still regarded essentially as a somewhat less regrettable alternative.
The Catholic Church has tried to cover up this low view of marriage by the doctrine that marriage is a sacrament. The practical efficacy of this doctrine lies in the inference that marriage is indissoluble. No matter what either of the partners may do, if one of them becomes insane or syphilitic or an habitual drunkard, or lives openly with another partner, the relation of the two remains sacred, and although in certain circumstances a separation a mensa et foro may be granted, the right to remarry can never be granted. This causes, of course, in many cases a great deal of misery, but since this misery is God's will it must be endured.
(掲載日:2016.07.01/更新日: )