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バートランド・ラッセル 私の哲学の発展 - My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell

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第18章 「批評に対する若干の返答」その3_外延的指示についてのストローソン氏の見解 03


ラッセル英単語・熟語1500
 私はまた、(同書p.101以下で)私が論じている事例 - その事例では、私は暗い夜にある友人と一緒に歩いている - にも言及しなければならない。 私と友とはお互い相手を見失い(lose touch with)、友は「君はどこにいるの?」と私を呼び、私は「ここにいるよ!」と答える。 一つの主張における自己中心的な要素を最小限にすることは、世界の科学的説明の本質であるが、この試みにおける成功は程度問題であり、また、経験的素材(empiriccal material)に関する場合は、それは決して完全なものではありえない。これは、あらゆる経験語の意味は、究極的には、明示的定義(訳注:ostensive definition 実例を示して言葉の意味を伝える定義法) に依存し、明示的定義は経験に依存し、経験は自我中心的であるからである。けれども、自我中心的語を使って、自我中心的でない何ものかを記述することはできる。このことが、我々が共通の言語(a common language)を用いることを可能にするのである。(訳注:我々が皆その人独特の言葉しか使えないのであれば、コミュニケーションが成り立たないが、共通の言語を持てればコミュニケーションは可能となる、ということ)

 これら全て(の主張)は正しいかも知れないし、正しくないかも知れない。しかし、いずれにせよ、ストローソン氏はそれを自身の発明した理論であるかのように述べるべきではない。それに反して、- もしかすると彼は私の言ったことの主旨(purport)を理解しなかったのかも知れないが- 実際は、私は彼がこの論文を執筆する前に既にそれについて述べているのである。私が既にあげた理由により、ストローソン氏が自我中心性を記述の問題とをを結びつけるは全くの誤まっていると考えるので、私はこれ以上、自我中心性については述べないことにしよう。

Chapter 18,n.3: Mr Strawson on referring, n.3

I must refer, also, to the case that I discuss (page 101 ff.) in which I am walking with a friend on a dark night. We lose touch with each other and he calls ‘Where are you?' and I reply 'Here I am !' It is of the essence of a scientific account of the world to reduce to a minimum the egocentric element in an assertion, but success in this attempt is a matter of degree, and is never complete where empirical material is concerned. This is due to the fact that the meanings of all empirical words depend ultimately upon ostensive definitions, that ostensive definitions depend upon experience, and that experience is egocentric. We can, however, by means of egocentric words, describe something which is not egocentric; it is this that enables us to use a common language.

All this may be right or wrong, but, whichever it is, Mr Strawson should not expound it as if it were a theory that he had invented, whereas, in fact, I had set it forth before he wrote, though perhaps he did not grasp the purport of what I said. I shall say no more about egocentricity since, for the reasons I have already given, I think Mr Strawson completely mistaken in connecting it with the problem of descriptions.
(掲載日:2022.08.04/更新日: )