(本館)  (トップ)  (分館)
バートランド・ラッセルのポータルサイト用の日本語看板画像

バートランド・ラッセル 私の哲学の発展 第10章 (松下 訳) - My Philosophical Development, 1959

Back(前ページ) 第10章_イントロ累積索引 Next(次 ページ) Content s(総目次)

第10章 「ヴィトゲンシュタインの衝撃」 n.16 - 還元可能性の公理なしで

 『数学原理』の第二版(1925年刊)において、私はウィトゲンシュタインのいくつかの原理(doctrines 根本的な考え)について触れた。第2版用の新たな序論で(ウィトゲンシュタインの)「外延性の原理」を採用し、同書の付録Cのなかで、この原理に対してすぐに思いつく諸批判を吟味し(considered the obvious objections to it)、全体として見れば(on the whole)、そういった批評は正しくない(invalid 妥当ではない)、という結論を出した。この新版における私の主な目的は「還元公理(還元可能性の公理)」(axiom of reducibility)の使用を最小限にすることであった。この還元公理は - この後直ぐに説明する- 我々が一方で論理的矛盾を回避し他方で通常争う余地がない(明白である)と考えられている数学の全ての部分を保持しようとするならば、採用せざるをえないもの(学説)である(必須である)と(私には)思われた。しかし,還元公理は反論可能であり、また(さらにより重要な点であるが)実際それが真であるとしてもその真理性は、経験的なものであって論理的なものではないと思われるがゆえに、この公理は、異論をさしはさむ余地のあるものであった。ホワイトヘッドも私も,この公理は我々(プリンキピア・マテマティカ)の体系の汚点(blot)であると認識した。しかし、私は、少なくとも、その公理をユークリッドの平行線の公理と似たものと考えていた。平行線の公理ユークリッド幾何学の汚点と考えられてきたものであった。私は、その公理なしですませる何らかの方法が遅かれ早かれ見出されるであろうと考え、そうして、発見されるまでの間は、多くの困難をこの一点に集約しておくことはよいことだと考えた。そうして、『プリンキピア・マテマティカ(数学原理)』の第二版では、以前はその公理が不可欠だと考えられた多くの場合において、特に数学的帰納法のあらゆる使用において、その公理をなしですませることに成功した(のである)。
 

Chapter 10 The Impact of Wittgenstein, n.16

In the second edition of Principia Mathematica (1925 ), I took account of some of Wittgenstein's doctrines. I adopted the principle of extensionality in a new Introduction and considered the obvious objections to it in Appendix C, deciding, on the whole, that they are invalid. My chief purpose in this new edition was to minimize the uses of the 'axiom of reducibility'. This axiom, which I shall explain in a moment, seemed necessary if we are, on the one hand, to avoid contradictions and, on the other hand, to preserve all of mathematics that is usually considered indisputable. But it was an objectionable axiom because its truth might be doubted and because (what is more important) its truth, if it is true, seems to be empirical and not logical. Whitehead and I recognized that the axiom was a blot upon our system, but I at least thought of it on the analogy of the axiom of parallels, which had been considered a blot upon Euclid's geometry. I thought that some way of dispensing with the axiom would be found sooner or later, and that meantime it was a good thing to have the difficulties concentrated in one single point. In the second edition of the Principia, I succeeded in dispensing with the axiom in a number of cases in which it had formerly seemed indispensable, and, more particularly, in all uses of mathematical induction.
(掲載日:2020.01.23/更新日: )