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ラッセル『私の哲学の発展』(松下彰良・訳)

My Philosophical Development, 1959, by Bertrand Russell

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第9章 「外界」 n.3


ラッセルの言葉366
 我々(人間)の物理的知識の源泉としての知覚の問題は、私にとって、大変厄介な問題(perplexing 厄介な)に思われた。二人の人がある対象を見るとき、視野と光がやってくる方向(he way the light falls)とのせいで(の違いのため)、二人が見るものには(いろいろ)差が存在している。そうして,事物をあるがままにみている知覚者を(誰か)一人選びだす(選び出すことができる)根拠(reason)はまったく存在していない(訳注:そんな知覚者は存在しない)。従って、我々は物理的なもの(物的対象)が任意の誰かの見る通りのものであると想定することはできない。これは物理学者にとってはあたりまえのことである。我々は、原子や分子 −それらは、物理学者物理的対象の構成要素(constituents 成分)であると保証するところのもの− を見ない(裸眼で見ることはできない)。さらに、生理学者もまた等しく我々を落胆させる(discouraging)。(即ち)眼から脳への複雑な因果の連鎖が存在し(眼から入った刺激が神経を通って大脳に到達)、我々が見るところのものは大脳において起ることに依存していることを、生理学者は明らかにする。もし仮に、通常の原因によって生ずる(生み出される)のと同様の大脳の状態が、何か異常な原因によって生ずるならば、我々はいつものように物理的対象とつながりを持っていない視覚を持つことがありうる(訳注:大脳の特定の部分に電気的刺激を与えると、たとえば、犬が襲ってくる幻覚を見るかも知れない)。もちろん、こういったたぐいのものは、特に視覚に結びついてはいない(視覚に限られるものではない)。(たとえば)脚がすでに切断されているのに足の親指に痛みを感じるというよく知られた(おなじみの)実例によっても例証される。そういった(いろいろな)論拠(arguments)から明らかになることは、我々が直接経験すること物理学が扱う外的対象ではありえないということであり、しかも,我々が直接に経験することのみが物理学の世界の存在を我々が信ずる根拠だということである。

Chapter 9 The External World, n.3

The problem of perception as the source of our physical knowledge seemed to me very perplexing. When two people look at a given object there are differences between what they see owing to perspective and the way the light falls. There is no reason to single out one percipient as seeing the thing as it is. We cannot, therefore, suppose that the physical thing is what anybody secs. To the physicist this is a commonplace: we do not see atoms and molecules, which, the physicist assures us, are the constituents of physical objects. The physiologist is equally discouraging. He makes it clear that there is an elaborate causal chain from the eye to the brain and that what you see depends upon what happens in the brain. If the same state of brain can be produced by other than the usual causes, you may have a visual sensation not connected in the usual way with a physical object. This sort of thing is not specially concerned with the sense of sight. It is illustrated by the familiar example of the man who feels pain in his great toe although his leg has been amputated. Such arguments make it clear that what we directly experience cannot be the external object with which physics deals, and yet it is only what we directly experience that gives us reason to believe in the world of physics.
(掲載日:2019.11.20/更新日: )