私の現在の世界観 n.5 - 知覚の物理的類似性
これらの多種多様な過程(プロセス)は全て純粋に物理学に属する(物理学が扱う対象である)。我々はビデオカメラが精神(心)を持っているとは考えないし,たとえ,そのビデオカメラの製造メーカーが少し工夫を凝らして(by a little ingenuity)、劇場の1階席(一般席)にあるビデオカメラ群(those in the pit)が拍手喝采すると(するやいなや)最も舞台に近い席(上等席)にあるビデオカメラ群(those in the stalls)は冷笑するというように作られているとしても、我々はビデオカメラが精神(心)を持っていると思わないほうがよいであろう(should not suppose 想定しない方がよい/「should not」は「~しないほうがよい」と相手にやさしくアドバイス,「must not」は「~してはいけない」と強く禁止)。これらの知覚の物理的類似性(physical analogies to perception)が示していることは、全ての場所及び全ての時間ではないとしても、大部分の場所と時間において、莫大な数の互いに重なりあう事象(出来事)が起っている(生じつつある)ということであり、また、これらの事象(出来事)の多くは,ある一定の場所と時間において、因果の連鎖により,ひとつのオリジナルな(最初の)の事象(出来事)と結び付けられており、このオリジナルな(最初の)事象(出来事)は、一種の多産性の遺伝(a sort of prolific heredity)によって、膨大な数の異なる場所において、自分自身に似通っている子孫を生み出している,ということである。
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Chapter 2: My present view of the world, n.5
These various processes all belong purely to physics. We do not suppose that the cine-cameras have minds, and we should not suppose so even if, by a little ingenuity on the part of their maker, those in the stalls were made to sneer at the moments when those in the pit applauded. What these physical analogies to perception show is that in most places at most times, if not in all places at all times, a vast assemblage of overlapping events is taking place, and that many of these events, at a given place and time, are connected by causal chains with an original event which, by a sort of prolific heredity, has produced offspring more or less similar to itself in a vast number of different places.
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