Ⅲ(続き)
しかし,その極端な形が共産諸国にみられる害悪は,いくらかユーモラスに「自由世界」(注:決して「自由」とは思えないラッセル)と呼ばれるものに属している多くの国々にも,より低い程度ではあるが存在しており,また、容易に増大する可能性がある。ロシアが最近生み出した最も優れた遺伝学者であるヴァヴィロフ(注:Nikolai Ivanovich Vavilov, 1887-1943:ソビエト時代の植物学者、遺伝学者。ルイセンコ学説に反対し、サラトフの刑務所に投獄され,獄死した。)は,獲得形質の遺伝に対するスターリンの無知な信仰に従わなかったという理由で,(ロシアの)北極地方に追放されて悲惨な死に方をした(注:ウィキペディアの説明には、サラトフの刑務所で獄死とある。サラトフ州はカザフスタン共和国の西にあり、北極地方ではない。このエッセイを執筆した1955年当時においては,シベリアの収容所にでも入れられたと新聞報道されていたのだろうか?)。(一方、自由世界に住んでいた)オッペンハイマー(注:Julius Robert Oppenheimer, 1904-1967:物理学者。ロスアラモス国立研究所所長としてマンハッタン計画を主導し「原爆の父」と呼ばれたが、水爆の実用化には反対した。後に核兵器の開発を主導したことを後悔するようになった。)は,主として,水素爆弾の実用可能性を,そのことを疑うことが全く合理的であった時期に疑ったことが主な理由で,免職となり、研究遂行を妨げられた。警察官に期待される程度以上の教育は受けていないFBI(の連中)は,問題の事態を理解する能力を有する人がみな馬鹿げている(不合理)と思うような根拠にもとづいて,ヨーロッパ最高の学者たちの旅券をさし抑える力があると思っている。この害悪は,合衆国においては,学者の国際会議が不可能となるところまで到達してしまっている(注:1950年代の米国において,マッカーシー上院議員が中心となって共産主義者と疑われる者の追放、いわゆる「赤狩り」、が大々的に行われた。実際は、リベラルな思想の持ち主の多くが追放された。因みに、当時俳優だったロナルド・レーガンは、マッカーシーやニクソンが率いる下院非米活動委員会に協力して「ハリウッドの赤狩り」に協力した。)。ミルが,警察を自由に対する危険としてはほとんど言及していないのは不思議である。こんにち,彼らは,大部分の文明諸国において,最悪の敵である。
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But the evils, of which the extreme form is seen in Communist countries, exist in a lesser degree, and may easily increase, in many countries belonging to what is somewhat humorously called the "Free World." Vavilov, the most distinguished geneticist that Russia has produced in recent times, was sent to perish miserably in the Arctic because he would not subscribe to Stalin's ignorant belief in the inheritance of acquired characters. Oppenheimer is disgraced and prevented from pursuing his work largely because he doubted the practicability of the hydrogen bomb at a time when this doubt was entirely rational. The FBI, which has only the level of education to be expected among policemen, considers itself competent to withhold visas from the most learned men in Europe on grounds which every person capable of understanding the matters at issue knows to be absurd. This evil has reached such a point that international conferences of learned men in the United States have become impossible. It is curious that Mill makes very little mention of the police as a danger to liberty. In our day, they are its worst enemy in most civilized countries.
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