正義の観念(承前)この点について(注:恐怖心,自負心,憎悪心の3つの強い感情は宗教に具現化されており人間の惨めさの原因である,というラッセルの主張),もしかすると正統派の(キリスト教)信者によって力説されがちだということはないかも知れないが,検討に値する異議(反対論)を想像することができる(注:大竹勝・訳の『(ラッセル)宗教は必要か』では,「・・・おそらく,正統派の信者から主張されることはありそうにないけれども・・・」と訳出されている。しかし,"perhaps" は可能性はあるが確実性がない場合に使われる副詞であり,「正統派の信者はそのように主張する可能性があるが,もしかするとそうでないかもしれない,といったニュアンスで使われている,と思われる。)。次のように言われるかも知れない。(即ち)憎悪と恐怖は人間にとって必須の特徴である;人類(人間)はそれらの感情を常に感じてきたし,今後も感ずるであろう。(また)それらの感情に対処する最善の方法は,それらの感情を他の経路ほど有害でない一定の経路に方向づけることである,と言われるかも知れない。キリスト教の神学者なら,教会によるそれらの取り扱いは,教会がなげかわしいと思う性衝動の取り扱いに類似したものである,と言うかもしれない。教会は情欲(色欲)を結婚生活の範囲内に限定することによって無害にしようと試みる。それで,もし人類が,どうしても憎しみ(憎悪)の情を感じざるを得ないとするならば,その憎悪を真に有害な人々に向けたほうが良い,と言うかも知れない。そして,これがまさしく,正義の概念にもとづいて教会が行なうことである。この主張に対して,二つの解答がある。一つは皮相的なものであり,もう一つは,問題の根源に達するものである。皮相的な解答は,教会の正義の概念は,可能なものの中で最善なものではない,というものである。根本的な解答は,憎悪心や恐怖心は,現代の我々の心理学的知識と産業技術をもってするならば,人間生活から完全に排除可能である,というものである。 |
The Idea of RighteousnessI can imagine at this point an objection, not likely to be urged perhaps by most orthodox believers but nevertheless worthy to be examined. Hatred and fear, it may be said, are essential human characteristics; mankind always has felt them and always will. The best that you can do with them, I may be told, is to direct them into certain channels in which they are less harmful than they would be in certain other channels. A Christian theologian might say that their treatment by the church is analogous to its treatment of the sex impulse, which it deplores. It attempts to render concupiscence innocuous by confining it within the bounds of matrimony. So, it may be said, if mankind must inevitably feel hatred, it is better to direct this hatred against those who are really harmful, and this is precisely what the church does by its conception of righteousness.To this contention there are two replies -- one comparatively superficial; the other going to the root of the matter. The superficial reply is that the church's conception of righteousness is not the best possible; the fundamental reply is that hatred and fear can, with our present psychological knowledge and our present industrial technique, be eliminated altogether from human life. |