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ラッセル「上品な人々」n.2 (松下彰良・訳) - Bertrand Russell : Nice People, 1930

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 幸いなことに,生き残った上品な人たちは,今なお非常に権力を持っている。即ち,教育を支配し,彼女たちは - 成功はしていないが - ヴィクトリア朝時代の偽善の水準を保とうと努力している。彼女たちは,いわゆる「道徳上の問題」に関する立法を支配し,そうすることによって,密造酒造り(bootlegging)の偉大な職業を作り出し,それに寄与したのである(注:世間に対しては禁酒を訴えるが,アルコールは必要不可欠と内心思っている男性が多いので,密造が暗黙の了解のもとに行われる,といった意味か?/因みに,このエッセイは1931年発表であり,米国における禁酒法は,1920年~1933年まで施行されていたことに注意する必要がある。)。彼女たちは,新聞に記事を書く若者が,自分の意見よりも,上品な老婦人の意見を必ず表現するようにさせ,そうすることによって,若者の文体及び心理的な想像力の範囲の多様性を拡大させるのである(注:皮肉?)。彼女たちは,そうしなかったら飽満(過度の摂取)によって短期間に終わってしまうであろう無数の快楽を生き残らせているのである。たとえば,舞台での下品な言葉を聞く喜び普通より少し多めの素肌を見る喜びである(注:大量にそういったものを摂取すると飽きてしまうが,小出しに摂取すれば長い間楽しむことができる,ということ)。とりわけ,彼女たちは狩りの愉しみを活き活きと保っている。英国中部諸州のような均質的な(画一的な)田舎の住民の中 においては,人々がキツネを狩ることはひどく非難される(注:大竹勝・訳『(ラッセル)宗教は必要か?』では,「イギリスのある州の住民のように,地方住民が同種族である場合には」と誤訳。the English shire はキツネ狩りで有名/定冠詞の the がついているのを無視している)。(つまり)キツネ狩りは費用のかかるものであり,時として,危険ですらある(注:キツネと間違えて人間を撃ってしまう場合あり!)。さらに,狐はあまりはっきりと,狩られることがどれだけ嫌いであるか,説明することができない。このようにいろいろな面を考えると,人間狩りは(キツネ狩りなどより)もっとよいスポーツであるが,もし上品な人々が存在しなかったら,良心を携えて(良心の呵責なしに),人間を狩ることは困難であろう。上品な人々が非難する人々は格好の獲物である。彼らの「タリー・ホー(Tallyho 漁師が獲物を見つけた時に猟犬にかける掛け声)」の掛け声のもと狩猟隊は集まり(the hunt assembles と単数形になっていることから,the hunt は狩猟者ではなく,狩猟隊のことか?),犠牲者は牢獄か死に追いやられる(のである)。(人間狩りの)犠牲者が婦人の場合は,特に面白いスポーツになる,なぜなら,その場合には,女性の嫉妬心と男性の加虐趣味(サディズム)を満足させるからである。私は,現在ロンドンに住んでいる外国婦人で,法律外の結婚ではあるが,相思相愛の男性と幸福に暮らしている人を知っている。不幸にして,彼女の政治上の意見は,(世間に)望まれるほど保守的ではない。もっとも,それは(単なる)意見であり,それについて彼女が行動において何かしようとするものではない。けれども,上品な人々は,この口実を利用して,ロンドン警視庁に追跡させたのである。そうして,彼女は,自分の故国へ追い帰され,飢えさせられる予定になっている(のである)。英国においては,アメリにおけると同様,外国人は道徳的に悪影響を与える存在であり,ただ有徳な外国人(たち)のみが例外的に我々の間に住むことを許されるように注意を払っている警察に対し,我々は皆感謝しているのである。


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Mercifully the survivors still have great power: they control education, where they endeavor, not without success, to preserve a Victorian standard of hypocrisy; they control legislation on what are called "moral issues", and have thereby created and endowed the great profession of bootlegging; they ensure that the young men who write for the newspapers shall express the opinions of the nice old ladies rather than their own, thereby enlarging the scope of the young men's style and the variety of their psychological imagination. They keep alive innumerable pleasures which otherwise would be quickly ended by a surfeit; for example, the pleasure of hearing bad language on a stage, or of seeing there a slightly larger amount of bare skin than is customary. Above all, they keep alive the pleasures of the hunt. In a homogeneous country population, such as that of the English shire, people are condemned to hunt foxes; this is expensive and sometimes even dangerous. Moreover, the fox cannot explain very clearly how much he dislikes being hunted. In all these respects the hunting of human beings is better sport, but, if it were not for the nice people, it would be difficult to hunt human beings with a good conscience. Those whom the nice people condemn are fair game; at their call of "Tallyho" the hunt assembles, and the victim is pursued to prison or death. It is especially good sport when the victim is a woman, since it gratifies the jealousy of the women and the sadism of the men. I know at this moment a foreign woman living in England, in happy though extra-legal union with a man whom she loves and who loves her; unfortunately, her political opinions are not so conservative as could be wished, though they are merely opinions, about which she does nothing. The nice people, however, have used this excuse to set Scotland Yard upon their scent, and she is to be sent back to her native country to starve. In England, as in America, the foreigner is a morally degrading influence, and we all owe a debt of gratitude to the police for the care which they take to see that only exceptionally virtuous foreigners are allowed to reside among us.
(掲載日:2015.10.14/更新日:)