1. | 生活を共にしていくうちアリスの複雑な性格があらわになってくる |
II. | アリスの心が,ラッセルに集中するよりは社会的な活動の方により傾いてきた。絶対禁酒運動や婦人参政権運動に熱中していて外出の機会が多い。ラッセルが初めて彼女に求婚した当日ですら,それにたいする諾否の意志を表明しないまま,たまたまその日届いた米国からのインヴィテーション・レターに応じて禁酒宣伝の会議に出席するためシカゴに発っていってしまったほどだった |
III. | キリスト教にたいする二人の間の意見が対立して論争がたえなかった |
IV. | ラッセルは子供がほしくてたまらなかった。けれどもアリスは欲しなかった。それに彼女は,セックスを不潔なものと考えて,女性はそれを憎悪すべきものとした。男性の獣的な色欲こそが結婚の幸福に対する大きな障害であるとした。事実アリスは石女(うまずめ)だった |
V. | 二人の間の性生活が不調であった。初夜のときから困難を感じさせられていた。楽しいものではなくてだんだんと疲労感に悩まされ,やがて彼女に接することを嫌悪する情がつのってくる |
VI. | アリスの嫉妬心の深さに苦しめられる。しばしば言い争いをしなければならなくなる。ラッセルがパリ駐在の大使館員を辞めてアリスの許に帰ってきた時ですら,パリ滞在中,アリスの妹とよく会っていたということを嫉妬して激しくラッセルをせめたほどであった |
VII. | ラッセルは,自然を愛していたし,自分の研究と著述の能率をあげるためにも好ましいからというので田舎で暮すことを主張したが,アリスは徹頭徹尾それに反対した |
VIII. | 妥協や粉飾を許さないラッセルの生一本な気質に反して,虚栄のとりことなるアリスの態度が彼にはとてもたまらないものになってくる。ラッセルの言によれば一「アリスは,人間としてはとても不可能なほど,一点の非のうちどころもないほど高潔だと人に思われようとする。そうして偽善に陥いる。自分の寛大さを賞賛させようとの下心から人をほめる。先方に向っては,そちらに諂おうとしてこちらの悪口を言い,当方にたいしてはこちらに良く思われようとして先方の悪口を言う癖がぬけなかった。平然と嘘を言うことがしばしばだった」と。 |
IX. | とてもがまんがならなくなったのは,ラッセルが最も忌み嫌った彼女の母のいやな性癖がアリスにあらわれてきたことだった。自分の主人に話をするときにいかにも主人を軽蔑する口調でしたり,また,他人に主人のことを話すときに主人を侮蔑している態度をありありと示す性癖があった等々。 |
I. | ドーラは子供は自分だけのもので,父の権利は認めないと主張した |
II. | ラッセルはロンア訪問の後,ロシアに対して批判的な論調を展開したが,ドーラの方はロシア崇拝,ボルシェヴィズム一辺倒を変えなかった |
III. | ラッセルはどちらかというと内向的な性格だったが,ドーラは激情的で時には無軌道ぶりを発揮した-ラッセルは中国に赴く船中で「二人の間のトラブルを解決するためには,この船から大海に飛び込むほかは無い」とドーラに語ったほどだった |
IV. | ラッセルが二階で著述に没頭しているのに,階下ではドーラがそこを「労働者産児制限協会」の事務所にしたり,社会運動や婦人運動の同志たちのたまり場にしたり,二回下院に立候補して選挙運動を展開するその事務所にした。
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V. | ドーラは別に二人の恋人をつくり,その恋人らとの間に二人の子供が出来る。ラッセルはドーラの恋人のうちの一人を家に同居させる。妻の恋愛の自由を認むべきであって嫉妬の感情をいだいてはならないというのが自分の理論であったが「しかし実際にはこのような環境に耐えきれなくなった」と言い出すラッセルだった |
VI. | 一九二七年以来,ドーラと共同で実験学校を経営していたのであったが,教育の根本方針において,また経営の方針において本質的相異が二人の間にあり,それが二人の離別に拍車をかける。こうして一九三二年(ラッセル六十才),二人は別居生活に入る。離婚が正式に成立したのは一九三五年であった。 |