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江上照彦「茫々バートランド・ラッセル - 「ラッセルを読む会」主催のラッセル生誕百十四年記念の催しに触発されて」

* 出典:『改革者』(民主社会主義研究会議)1986年6月号巻頭言


雑誌『改革者』の表紙画像 「ラッセルを読む会」という読書会があることを知ったのは最近である。世話人の松下彰良氏(注:私=本ホームペーッジ開設者)から五月十八日に「ラッセル生誕百十四年記念の催し」をするので出るようにと誘われて出かけて行った。場所は早稲田大学南門前の,「高田牧舎」というレストランである。集まっているのは数人の若い人びとだった。まず,むかしわれわれがつくっていた日本バートランド・ラッセル協会が,こんな形で命脈を保っていることに感銘した。昭和四十年一月十八日,協会が結成された折には僕が議長を勤めて笠信太郎先生を会長に推戴した次第だったが,それが所も同じ早稲田大学だったことも,なんだか因縁めいている。
 何か一席と言われたが,ラッセルの専門家でもない僕には,とてもまとまった話はできない。ラッセルにかかわるゆえんは,ただ僕の最初の著書がラッセル著「権威と個人」(昭26)の翻訳であり,それから「結婚と道徳」(昭30),「ボルシェビズムの実践と理論」(昭34,いずれも社会思想杜)と続いたこと。とにかく,かなりラッセルに傾倒していたわけだ。「権威と個人」刊行に当って,跋文をいただくため,僕は鎌倉の長谷川如是閑先生を訪ねた。「ごく短いもので結構ですから」とお願いすると,「筆を執るのが憶くうでね。しかし書きだしたら止まらないんだ」とおっしゃって,結局ずいぶん長くて立派な文章を頂戴した。こんな捻った言い回しにも,一脈ラッセルと相通ずるものがある。如是閑先生自身それを認めて,ラッセル好きになったわけを,「私の子供のころ聞いた落語家の"まくら"を聞いているようで,真面目な論文で,イギリス式ユーモアを満喫させられるのがたまらなく嬉しかった」と語られた。おこがましい言草で恐縮だが,僕もまたそんな趣きに魅かれて,ラッセルかぶれになったのだ。


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 協会発足後の三月,僕は笠先生のお供をして,小田原の新居「八旬荘」に如是閑先生を訪問した。協会顧問をお願いするためだった。白梅の咲いた広い庭のたたずまいなど,まだ眼底にのこっているが,すでにラッセルはじめ両先生ともにこの世の人ではない。いまも時にはラッセルを読み,また引用もするが,そんな時浮んでくるのが両先生の爽やかな面影だ。(相模女子大学教授)

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