バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

 この世で幸福になるためには,特に青年期が過ぎてからは,自分のことを,まもなく一生を終える孤立した個人として感じるだけでなく,最初の胚種から遠い未知の将来へととどまることなく流れていく生命の流れの一部だと感じることが必要である。

To be happy in this world, especially when youth is past, it is necessary to feel oneself not merely an isolated individual whose day will soon be over, but part of the stream of life flowing on from the first germ to the remote and unknown future.
 出典: The Conquest of Happiness, 1930, chap.13:The family.
 詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA24-060.HTM

 <寸言>
 「自分が死んだらすべておしまい」としか考えられない人は,不幸な晩年を過ごすことになりやすい。自分が死んでも自分の子孫を通して末永く生命は続いていくと思えば少し心は安らぐ。このような情緒は,無神論者であっても可能である。  それでは子供のない人間は? 他人の子供であっても自分の子供のように愛情を持てる人間は,子供がいても愛情を持てない人間に比べ,ずっと幸福であるだろう。

 若いうちはそのように感じることは難しいだろう。若いうちは,あたかも自分は永久に死なないように,あるいは少なくとも平均寿命くらいは生きられるだろうから,(肉親や親しい知人が死んでない限り))死はまったく他人事のように感じられる。
 東北大地震が起こった時はさすがに,他人の死も他人事ではないと思った人が多かったと思われる。しかし,そう思わない(思わなかった)人も少なくないようだ。  そうでなければ,原発の再稼働がどんどん申請されているのに抗議するひとが余り多くないように見えるのは理解に苦しむ。
 原発の再稼働に賛成している(あるいは仕方がないと思っている)人も,原発が自宅の近くにないからであり,自宅の近くにあれば反対するだろう。
 どうしても原発を再稼働させる必要があるというのであれば,古くなった原発は早めに廃棄し,大量にエネルギーを消費するところに,原発をつくるようにしたほうがよいであろう。海岸近くのような津波の被害にあったり,海洋汚染を引き起こしそうなところでなく,たとえば岩盤がしっかりしている武蔵野台地に建設するとよいかもしれない。それだけの覚悟があればであるが・・・。必ず人口が多い地区では多数の人が反対して建設できないのは目に見えている。結局,少数者がしいたげられる。