競争の哲学によって毒されているのは,仕事だけではない。余暇も同じように毒されている。静かで神経の疲労を回復してくれるような余暇は,退屈なものと感じられる。競争は絶えず加速される運命にあるため,その当然の結末は,薬物(依存)であり,衰弱(気力喪失)である。これに対する治療法は,バランスのとれた生活・人生の理想の中に,健全で,静かな楽しみの(果たす)役割を認めることにある
It is not only work that is poisoned by the philosophy of competition; leisure is poisoned just as much. The kind of leisure which is quiet and restoring to the nerves comes to be felt boring. There is bound to be a continual acceleration of which the natural termination would be drugs and collapse. The cure for this lies in admitting the part of sane and quiet enjoyment in a balanced ideal of life.
出典: The Conquest of Happiness, 1930, chap.3:Competition
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA13-060.HTM
<寸言>
競争には良い面と悪い面がある。現代日本においては,良い面ばかりが強調されるきらいがある。支配・管理監督する立場にあっては,国民や部下が,大きな不都合を産まない限り、競争にあけくれてくれたほうが好都合である。
だが,それは不幸の大きな要因となる。新しいものを創造しようという競争ならよいが,限られたもの(ポスト,エネルギー資源,その他の精神的なもの以外のもの)の競争は,益よりも大きな不幸を世界に生み出してしまう。そのことをよく表した,世界中のラッセルファンが引用するのが次のラッセルの言葉です。
The best life is one in which the creative impulses play
the largest part and the possesive impulses the smallest.
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