私は生き,私なりに自分の日々を過ごし,息子(あるいは「娘」)が自分の後を継ぎ,息子は息子なりに日々を過ごし,今度は,彼の息子(私の孫)があとを継ぐ。こういったこと全てにおいて,悲劇となるようなものが存在するだろうか。それどころか,もしも私が永久に生きるとしたら,人生の喜びはついには必然的にその味わいを失ってしまうだろう。現実には人生に終わりがあるので,人生の喜びは永遠に新鮮さを失わない。
私は,(命の)火の前で両手を暖めた
(命の)火が消える,そして私は(この世を)去る準備(覚悟)はできている
I live and have my day, my son succeeds me and has his day, his son in turn succeeds him. What is there in all this to make a tragedy about? On the contrary, if I lived for ever the joys of life would inevitably in the end lose their savour. As it is, they remain perennially fresh.
I warmed both hands before the fire;
It sinks, and I am ready to depart.
出典: The Conquest of Happiness, 1930, chap.2:The Byronic unhappiness.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA12-030.HTM
<寸言>
引用された2行の詩はラッセルのものではなく,ウォルター・サヴィジ・ランド(Walter Savage Landor : 1775 ? 1864)のものです。出典をあげていないということは,英国人であればほとんどの人が知っているためだと想像されます。
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