1965年(ラッセル93歳の時)に,若い数学者の ジョージ・スペンサー=ブラウンが,彼が言うには彼の研究を理解できる者は私以外に見当たらないからということで,自分の研究をみてほしいと強く求めてきた。・・・しかし,彼が到着する時間が近づくにつれ,私は彼の研究や彼の新しい表記体系(記号法)を十分理解することはできないだろう,と確信するようになった。私の心は(自分の能力の衰えを自覚されるだろうという)恐ろしさでいっぱいになった。しかし,彼がやって来て,彼の説明を聞いた時,私はもう一度数学に足を踏み入れて,彼の研究をわかってあげることができるということを知った。
In 1965 (Russell = 93 years old) a young mathematician, G. Spencer Brown, pressed me to go over his work since, he said, he could find no one else who he thought could understand it. ...But as the time drew near for his arrival, I became convinced that I should be quite unable to cope with it and with his new system of notation. I was filled with dread. But when he came and I heard his explanations, I found that I could get into step again and follow his work.
出典:The Autobiography of Bertrand Russell, v.3:1944-1969 ,chap4:The Foundation,(1969)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB34-210.HTM
<寸言>
G・スペンサー=ブラウン(1923年4月2日 - 2016年8月25日)についての評価は分かれているようである。私はスペンサー=ブラウンの有名な著書『形式の法則』を読んだことがないので,評価できない。ウィキペディアから少しだけ抜粋しておく。 スペンサー=ブラウン
「(ラッセルが卒業した)ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに在籍した際に、バートランド・ラッセル、ウィトゲンシュタインと面識を持つ。卒業後オックスフォード大学クライスト・チャーチ分校の研究講師に専任され、確率に関する数学理論で最初の研究成果をあげる。1964年、ラッセルの推薦でロンドン大学の形式数学の講師となる。1969年、ケンブリッジ大学の純粋数学科に所属。主たる数学的関心は整数論。チェスのハーフブルー。グライダーパイロットとして2つの世界記録を持つ。『デイリーエクスプレス』紙スポーツ欄の寄稿者。
「形式の法則」の著者であることで最もよく知られる。それは、ニクラス・ルーマンなどの社会学者に、大きな影響を与える。彼は彼の編み出した算法によって、四色問題を解決したと主張したこともあった。日本では、社会学者の大澤真幸によって紹介されている。大澤はスペンサー=ブラウンの主著『形式の法則』を邦訳し、その解題を自らの博士論文『行為の代数学』に纏めている。」
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