ケネデイ大統領暗殺に関する新聞報道及び,その後オズワルドに不利な証拠といわれるものやルビーによるオズワルドの狙撃に関する報道を読んだ時,はなはだしい誤りがあったように,また,おそらく非常に不潔な何かが隠蔽されつつあるように,私には思われた。1963年6月,オズワルドの母親のために事件について独自に調査していたニューヨークの弁護士マーク・レーン(Mark Lane,1927~ )に会った時,彼がそれまでに収集していた事実によって私の疑念が強まった。
As I read the press reports in regard to the President's assassination and, later, the purported evidence against Oswald and his shooting by Ruby, it seemed to me that there had been an appalling miscarriage of justice and that probably something very nasty was being covered up. When in June, 1963, I met Mark Lane, the New York lawyer who, originally, had been looking into the affair on behalf of Oswald's mother, my suspicions were confirmed by the facts which he had already gathered.
出典:The Autobiography of Bertrand Russell, v.3:1944-1969 ,chap4:The Foundation,(1969)
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/AB34-190.HTM
<寸言>
ケネデイ大統領は,1963年11月22日,テキサス州ダラスにおいて,(妻とともに)オープンカーに乗って市民に手を振っているところを暗殺(銃殺)された。当初オズワルドが単独犯だとされたが、オズワルドはルビーによってすぐに射殺されてしまった。その後、オズワルドは単独犯人ではなく、真犯人(黒幕)は,FBIだとか,CIAだとか,ジョンソン副大統領だとか、マフィアだとか,その他様々な説が唱えられた。
ラッセルは,JFK暗殺に関する公式の説明(オズワルドの単独犯行と断定した「ウォーレン報告書」も含む)は矛盾だらけであるとし,最初から,オズワルドは犯人ではなく,真犯人(黒幕)はほかにいると考えた。そうして、英国の著名な知識人からなる「ケネディ暗殺真相究明のための英国委員会」(The British Who Killed Kennedy ? Committee)を立ち上げ,委員長を務めた。
http://russell-j.com/beginner/AB34-200.HTM
ラッセルは、The Minority of One 誌(1964年9月6日号)に「16 Questions on the Assassination (ケネディ暗殺に関する16に疑問)」を発表している。
これは、『ラッセル自伝』第3巻に収録されているが(pp.246~256の11ページ!),次のページにも掲載されている。
http://22november1963.org.uk/bertrand-russell-16-questions-on-the-assassination
なお、最初の日米間の衛星生中継は、このケネディ大統領暗殺のニュースであったことは、有名な話である。
Copyright: (c) Akiyoshi Matsushita (松下彰良) All Rights Reserved.