民主主義が望ましいのは,普通の選挙民が政治的叡知をもっているからではなく,権力を独占するいかなる集団も,必ず自分たち以外の人々はある特定の生活の便益を享受しないほうが望ましいと証明する理論を発明するがゆえに,そのことを予防するために必要なのである。このような傾向は,人間本性の中でも最も可愛げのないものの一つであるが,全ての階級及び男女両性への権力の公正な分配以外に十分な防護策はないことは,歴史が示している。
Democracy is desirable, not because the ordinary voter has any political wisdom, but because any section of mankind which has a monopoly of power is sure to invent theories designed to prove that the rest of mankind had better do without the good things of life. This is one of the least amiable traits of human nature, but history shows that there is no adequate protection against it except the just distribution of political power throughout all classes and both sexes.
出典:On vicarious asceticism (written in Aug. 3, 1932 and pub. in Mortals and Others, v.1, 1975
詳細情報:http://russell-j.com/KINYOKU.HTM
<寸言>
自分が教師でなければ、「教師は聖職者であるべきだ」と教師をしばり、自分が官僚や公務員でなければ、「公務員の給料はできるだけ下げる必要がある」と主張する。つまり、ほとんどの人が自分が所属している階級・グループに対する制限は極力排除しようとするが、そうでなければできるだけ制限を加えようとする。
政治家も、「国民のため」とか、「国民の命を守るため」とかいろいろ言うが、自分も国民の一員だと言うことをあまり真剣に考えない。国民の誰もが何らかの事柄に関しては「少数者」である。だから、自分が気に入らない「少数者」を迫害したり、自由を制限するような規則を多く創っていけば、いずれ自分で自分の首をしめることになることに気づくべきである。
民主主義が一番必要なのは、権力の「暴走」を防ぐという性格であろう。「多数決原理」は、「少数意見を尊重」するという前提があって初めて生きてくる。しかし、最初に結論ありきで、議論にある程度時間をかければ、「決めるべき時は決める」を決断力だと(国民を)勘違いさせてどんどん「少数者」を苦しめる法律を大量に国会を通過させている。(最近は、議論の中身がなくても、時間をかければ「熟議」だとされている。)
「誰もが何らかの点で少数者であり、少数者の権利を制限していくことは、結局は全国民が自分で自分の首をしめることになる」ということに、多くの国民が気づくようになるのはいつのことであろうか!?