バートランド・ラッセルのポータルサイト

バートランド・ラッセル『西洋哲学史』(3分冊版)上巻への訳者(市井三郎)あとがき

* 原著:バートランド・ラッセル(著),市井三郎(訳)『西洋哲学史-古代より現代にいたる政治的・社会的諸条件との関連における哲学史』(上中下3分冊版: みすず書房,1954年12月~1956年1月)
* 原著:A History of Western Philosophy, 1945.
* (故)市井三郎氏略歴
* (上中下3分冊版)中巻へのあとがき
* (3分冊版)下巻へのあとがき

(3分冊版)上巻への訳者あとがき(1954年12月1日)

 本書は、Bertrand Russell, A History of Western Philosophy and its connection with political and social circumstances from the earliest times to the present day「古代哲学」の部分の全訳である。「中世カトリック哲学」「近代哲学」の部分は、それぞれ邦訳の第2巻、第3巻として続刊予定である。原著は初版が1946年に出たが(松下注:英国で出版されたのは1946年だが、米国では1945年に出されている)900頁をこえる大著であるにもかかわらず、その後毎年版を重ねて、哲学がわが国ほどは「人気」のないイギリスでの、「不思議な」ベスト・セラーの1つとなっている。B.ラッセルについては、改めて紹介するまでもなかろうが、この原著はわが国でもこれまで、書評の形などで若干論議の対象となったもので、わたしはこうした邦訳の労をとるからには、本書に対する自分の考えを、ここに述べておかなければならないと思う。

 その前にいちおう、事務的な凡例風のこと(重要でないという意味ではないが)を、箇条書きにしておく。

 一、人名や地名などの固有名詞は、原著ではみな英語化されているが、本訳書では、主として、岩波書店の「哲学小辞典」によって、原音に近いカナ使いで示しておいた。但しカッコ内に記入した欧文名は、原著のままの英語化されたものを用いた。
 二、ただわが国でもすでに慣用になっている呼び名、例えばピタゴラス、ユークリッド、エペソなどは、なるべくそのままを用いて、原音に近いカナ書き、すなわち「ピュタゴラス」「エウクレイデス」「エフェソス」などは、それぞれ最初にその名称が出てくる箇所でカッコ内に示しておいた。ローマの「シーザー」の場合など、原音紹介を省いたのも少しある。
 三、原著の脚註は、「原註」と記して各文節末に入れたが、本訳書では読者の便宜を考えて、この第1巻のみでほぼ260個にのぼる訳註を追加し、それらを巻末にまとめずに、本文中それぞれ該当の箇所に「訳註」と記してカッコ内に挿入した。
 四、ただ訳註をつけるべき事項が2度以上出てくる場合は、主として最初に現われた箇所にだけつけた。しかし例えば、「ジェイン・ハリスン」という人名は、p.31とp.249という風に非常に離れて現われるが、後者の部分だけ読んでそれが何者であるか知りたい、と思われる場合には、索引で「ハリスン,J.」を引かれて、それから最初に出てくるページ数(p.31)を探し、そこで訳註の説明を読まれるより仕方がない。これはわずらわしいが、訳註を本文中に分散させた方が、全体として見れば、はるかに読者のお役に立つと信じている。
 五、漢字やカナの使い方は、なるべく新らしい制限方法によった。ただ古典の引用などのところでは、感じを尊重して難かしい漢字を用いたところがあるが、そのような場合はみなルビをつけたつもりである。全体として略字でなく正字が用いられたのは、訳者の本意ではなく出版上の便宜に妥協した結果である。
 六、ただ「翻訳」を「反訳」と書く方式で、「叡智」をもすべて「恵知」としたが、これは「英知」の方が無理でなかったようだ。とにかく読者は、本訳書に出てくる「恵知」が、「知恵」の誤植ではなく、「叡智」の意味であることを了承されたい。
 七、この第1巻の索引は、原著にある厖大な索引のうち、古代哲学の部分に当たるもののみを分離して作成したのだが、これも訳書が分冊で出る場合に、索引は最終巻にのみまとめてつける、という従来のやり方よりは、読者の利用便宜を高めるものと考えている。

 さて本書に対する私見にもどろう。ラッセルは「まえがき」でも述べているように、哲学史を社会的諸条件との関連において眺める、という英米では珍らしい試みをやっているのであり、果してその試みが充分に成功しているかどうかについて、訳者の所属している「思想の科学研究会」で、本原著の刊行直後に合評をやったことがあった。林達夫氏、松本正夫氏、武谷三男氏など、その時の出席者たちから、かなり手きびしい批判が出るには出たが、それは学問的に高い水準から、社会的哲学史のかなり高度な完成品を期待されていることからくる不満だった、とわたしは思う。しかしわが国でもすでに邦訳されてよく読まれてきたシュヴェーグラーや、フォールレンダーなどの哲学史を頭に浮かべ、わが国の哲学界がドイツ観念論の偏重の下に育ってきたことを反省すると、社会的考察が本書の程度になされている哲学通史でさえ、これからわが国の一般読者に広く読まれる価値は充分にある、とわたしは確信している。
 その理由を若干、これから述べてみたい。第1に、現在わが国の社会がおかれているさまざまな復舊的諸傾向の下ではとくに、本書は思想的に「進歩」を擁護し、また鼓舞する側にかぞえらるべき性格を明瞭に持つことである。哲学思想がさまざまな社会階層の経済的利害にどのように結びつくか、ということの解明において、本書はけっしてユートピアンな迷妄を示してはいない。この第1巻「古代哲学」の部では、奴隷制社会が哲学者にどのような偏見をもたらしたか、自由市民の間でも富者と貧者との間の闘争が、政治制度を介して哲学者の考え方にどのような影響を及ぼしたか、そしてそのような事情が、近代のアメリカやイギリスのあり方とどのように対応するか、といったことの指摘は随所になされているのである。試みに読者は、本訳書のp.43、p.82、pp.191-192などをごらんになるといい。B.ラッセルは、18、19世紀イギリスの植民地掠奪によって富裕となった貴族の出であるが、自国の、そして自分の出身階級に対するあからさまなテキハツをも、古代哲学に関連させてまで敢ておこなっている(p.277,p.115:それぞれ下段参照)。ここでちよっと言及しておきたいことがあるのだが、本原著に対するわが国の唯物論者たちの批判が、昭和25年刊の「現代観念論哲学批判」(三一書房)に出ている。例えばそのpp.140-141には、神学の方が科学より優位にある、といったことをラッセルが本書の序論で述べているように書いてある。わたしはマルキシズムになんら偏見を持っていないつもりだが、ここを読んでわたしは実に驚いてしまった。ラッセルからの引用としてそこに書かれている文句は、もちろん日本訳だが、どのように解釈してみても、示された頁数のあたりにそのような文章は、ぜんぜん見当たらないばかりか、序論(わたしが「序説」と訳しておいたところ)でラッセルが云っていることは、本訳書で読者のごらんになる通り、まさにその正反対のことなのである。ラッセルが、「科学を神学に従わせるために、やっきとなっている」かどうか、本訳書そのものが、雄弁すぎるくらいに返答を与えているであろう。わたしはこのようにひどく歪曲された批判を、ある種の唯物論者がおこなったことを、彼等のために惜しみたい。ただラッセルが、マルキシズム(及びそのソヴェート的実践)に対していだいているイギリス人らしい誤解は、確かに見出されるのであって、それはこの第1巻よりは、第2巻以降にあらわになる。そのことは、第2巻以降の「訳者あとがき」で指摘するつもりでいる。(松下注:市井氏は上巻でこのように書いたが、その後ラッセルの真意を理解したらしく、中巻のあとがきで、上巻の発言について訂正はせずに次のように書いている。「・・・。つまりラッセルは、彼のような立場の人間としては、マルクスをかなり正しく見ているのであって、「対照辞引」に見出されるような発言は、マルクスそのひとよりも、その追随者あるいはソヴェートにおけるその政治的実践者について、イギリス知識人の持っている根強い見解を表明したものと見るべきであろう。」)
 第2に、ラッセルの本書は、平明、明快というイギリス哲学の伝統に立って、ドイツ観念論の側よりなされた哲学の誇大・尊大化を打ち破っていることである。例えばp.111下段にも述べられているように、プラトンを扱うにしても、彼の政治的見解を「全体主義者」のそれとして批判しようとし、彼のイデア論の非妥当性を徹底的に鮮やかに論破し去るなど、従来の哲学史に見られない是々非々のケジメを1つ1つつけてゆく明快さには、(それに全部同意されるか否かは別として)これまでわが国にはなかった哲学学風が感じられるであろう。わたしが本書の邦訳によって願うことは、左右ともに主としてドイツ観念論の息吹きの下に育った日本の哲学界に、このようなイギリス的新風を吹き入れる端緒をつくりたいことでもある。極端に云えば、思想は難解なるが故に尊しとなす、といったような一般の傾向(と云い切れば不謹慎な戯画化というそしりを免れないが)に対して、わたしは逆流がますます強まることを願っているのである。なぜなら社会の進歩にとっては、そのような一般の傾向こそ、反動的目的に利用されるところの、大敵であると考えるからである。
 終りに、本書訳出の機縁をつくって下さった金關義則氏と、原著にはなかった哲人たちの写真を、わざわざ訳書につけるといったことなど、この邦訳刊行に終始熱意を示されたみすず書房の小尾俊人氏に、ここで心よりお礼申し上げたい。
 1954年12月1日 市井三郎