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『ラッセル自伝』n.22(松下彰良・訳)

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 幼少時代の初めの頃のことについて出来るだけ多くのことを思い出そうする時(時はいつも/ここの when = whenever),私がペンブローク・ロッジ到着後(松下注:ラッセルが Pembroke Lodge に兄とともに移り住んだのは,1976年2月のこと)のことで最初に思い出すのは−−ペンブローク・ロッジ到着後約一ケ月のことだったに違いないと思うが−−暖かい日射しをうけて(道路の)雪が解けつつある中歩いており,倒れた大きな西洋ぶなの木がノコギリで丸太に切られようとしているのに注意(注目)しながら歩いている情景(光景/映像)である。(日高一輝氏は,「・・・暖かい日射しをうけて,とけつつある雨(=雪の誤植)の中を歩いている情景であることがわかった。そんなことは,普通ならもう1ケ月あとにみられる情景であった。・・・」と訳しておられるが,構文や語彙をかなり誤解しておられる。)
 次に思い出すのは,私の4回目の誕生日のことであり,(右写真:4歳のラッセル)私は誕生日祝いにトランペットをもらい,一日中それを吹いていたこと,また,ペンブローク・ロッジ内のサマー・ハウスでお茶とバースデー・ケーキをいただいたことである。(日高氏は,ただ「夏別荘」と訳されているが,これでは誤解を生むおそれがある。ペンブローク・ロッジのような貴族の邸宅の庭には,庭園散歩時などに使用する各種の「東屋(あずま)」があるが,Pembroke Lodge にも,右下写真のような summer-house があった。写真出典:R. Clark's B. Russell and His World, 1981)
 その次に思い出されるのが,おば(アガサ)による色と文字の読み方のレッスンであり,それから,きわめてはっきり覚えているのは,私が5歳になる直前に始まり,約1年半続いた幼稚園のクラスのことである。幼稚園は,私にとても大きな喜びを与えてくれた。幼稚園の教材用具一式の購入先は,蓋に,オクスフォード街のバーナーズ・ストリートと書いてあったが,バーナーズ・ストリート(の通り全体)は,今日でも(今日にいたるまで),気を落ち着けないと(しっかりしないと)(unless I pull myself together)*注),(千夜一夜物語の)アラジンの宮殿のような地区であると思ってしまう。(日高氏は,「今日,私の記憶にして誤りなければ,バーナード・ストリートというのは今のアラディン・パレースのあたりがそれだと思う。」と誤訳されている。)幼稚園のクラスでは他の子供たちを知るようになったが,そのほとんどの消息はわからなくなった(日高氏は,「その,ほとんどを忘れてしまった。」と訳されているが,それでは,ラッセルはひどく冷たい人になってしまう。)。しかしそのうちの一人ジミイ・ベイリーと,1929年ヴァンクーヴァーで,私が汽車から降りた時に再会した。
 私は今になってわかるが,私たちに教えていたあの(幼稚園の)淑女はフレーベル正統派の訓練をうけており,それは当時としては驚くべき最新式のものであった(注:Friedrich Wilhelm August Froebel, 1782-1852:ドイツの幼児教育の祖)。私は今でもなおあの時受けたほとんど全てのレッスンを詳細に思い出すことができるが,しかし私を最も感動させたのは,黄色青色をまぜるとになるということを発見したことであったと思う。

*松下注'pull oneself together' については,「「海辺のカフカ」の不可解な日本語」に次のような引用があります。/・・・もうひとつ別の例を挙げましょう。「僕はなんとか自分をもとどおりひとつにまとめようとする」(上巻,116ページ」。これを読むと pull oneself together という表現が浮かびます。これは「しっかりする」という意味です。ご丁寧にもそのあとに「そのためにはあちこちに行って,自分自身の破片を集めてこなくてはいけない」と続けて,ますます pull oneself together のイメージを拡充しています。・・・
When I try to recall as much as I can of early childhood, I find that the first thing I remember after my arrival at Pembroke Lodge is walking in melting snow, in warm sunshine, on an occasion which must have been about a month later, and noticing a large fallen beech tree which was being sawn into logs.
The next thing I remember is my fourth birthday, on which I was given a trumpet which I blew all day long, and had tea with a birthday cake in a summer-house.
The next thing that I remember is my aunt's lessons on colours and reading, and then, very vividly, the kindergarten class which began just before I was five and continued for about a year and a half. That gave me very intense delight. The shop from which the apparatus came was stated on the lids to be in Berners Street, Oxford Street, and to this day, unless I pull myself together, I think of Berners Street as a sort of Aladdin's Palace.
At the kindergarten class I got to know other children, most of whom I have lost sight of. But I met one of them, Jimmie Baillie, in 1929 at Vancouver as I stepped out of the train.
I realise now that the good lady who taught us had had an orthodox Froebel training, and was at that time amazingly up-to-date. I can still remember almost all the lessons in detail, but I think what thrilled me most was the discovery that yellow and blue paints made green.