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『ラッセル自伝』(松下彰良・訳)

The Autobiography of Bertrand Russell
(London; Allen & Unwin, 1967-1969. 3 vols. illus. port. 25 cm.)


総目次

第1巻 1872-1914 − 第1章 幼少時代 (childhood) 累積版

  1. 私が最初にはっきり思い出せるのは,1876年2月,ペンブローク・ロッジ(松下注:ロンドン郊外リッチモンドにある祖父の屋敷)に到着した時のことである。正確にいうと,・・・。(My first vivid recollection is my arrival at Pembroke Lodge in February 1876.)
  2. 母は,夫人参政権支持の集会にしばしば出席して,よく演説した。私は,母の日記の一節を読んだが,そこには,シドニー・ウェッブ夫人や・・・。
  3. 両親は兄のために,D.A.スポルディングという,相当科学的能力のすぐれた家庭教師を雇った。・・・。
  4. 母(Kate)についての記憶は,−小馬の曳く小型馬車(a ponny carriage)から落ちたことを除いて− 私はまったくもっていない。。・・・。
  5. 私の祖父母が住んでいたペンブローク・ロッジはリッチモンド・パーク内にあったが,2階しかない,不均斉に建てられた広い家であった。・・・。
  6. ペンブローク・ロッジの庭は,外国の大使たちがその芝生の上をゆっくり歩きまわったり,また各国の皇太子たちがよく手入れされた花壇を賞讃したりした,かつての華麗だった時代を記憶しているように思われた。・・・。
  7. 私が記憶している祖父は,80歳をゆうに越えており,日光浴用の車椅子に乗って庭をあちこち廻っていたり,英国下院議事録を自室で坐って読んでいる姿である。・・・。
  8. 祖母はその時代の標準(規格)に従って教養を身につけさせられた。・・・。
  9. 当然のことであるが,祖母は,近代的な意味で,人間の心理を理解する能力は持っていなかった。・・・。
  10. 14歳以後,祖母の知的な限界が私にはとても耐えがたいものになり,また祖母の清教徒的道徳観は私には度を超えているように思えるようになった。・・・。
  11. 祖母(ミント伯爵の娘)には,私が少年の頃,生存中の兄弟4人と生存中の姉妹2人がいた。・・・。
  12. 私がつきあう(交際する)ようになった大人たちは,子供の感情の激しさを理解する能力に著しく欠けていた。・・・。
  13. 祖母の家族の話にもどすと,祖母の妹レデイ・エリザベス・ロミリーのことについては,彼女はラドヤード・キプリングについて聞いた最初の人であるということ以外,ほとんど覚えていないが,彼女はキプリングの「高原地方のありふれた話」を大いにに賞賛していた。・・・。
  14. ペンブローック・ロッジ(の家)には,祖母のほかにロロ叔父さんとアガサ叔母さんが一緒に暮らしていた。・・・。
  15. ペンブローク・ロッジに住んでいた大人のなかで一番若かったのは,アガサ叔母さんだった。・・・。
  16. 彼女は未婚のままでいた。・・・。
  17. 兄は私よりも7つ年上であった。・・・。
  18. ペンブローク・ロッジでの初めの頃は,私の生活にとって,家族よりも使用人たちの方がより大きな役割を演じた。・・・。
  19. 私が初めてペンブローク・ロッジに来た時,ヘッチェル(嬢)というドイツ人の保母兼家庭教師をつけられたが,その頃私は,既にドイツ語は英語同様流ちょうに話すことができた。・・・。
  20. 食べ物については,私の青年期の最初から最後まで,まさしくスパルタ式に扱われた。・・・。
  21. ある昼食時の出来事を記憶している。その時,皿が全て新しいものにとりかえられ,私を除いて,全員にオレンジが配られた。・・・。
  22. 最も鮮明な,幼い時の私の記憶の多くは,恥かしい思い出(記憶)である。・・・。
  23. 友人のホワイトヘッドとはどういう出来事がきっかけで初めて知り合いになったのか,はっきりとは記憶していない。・・・。
  24. 祖母は熱烈な小英国主義者*注であり,植民地戦争を強く非難した。・・・。
  25. ペンブローク・ロッジの雰囲気については,アナベル・フス・ジャクソンの書いた「ヴィクトリア朝時代の人々の幼少時代」の中によく描写されている。・・・。
  26. 幼少時代の大部分を通じて,私の一日の最も重要な時間は,庭園で一人で過ごした時間であり,また私の生活のうちで最も活き活きとしていたのは孤独の時であった。・・・。
  27. 幼少時代の初めの頃のことについて出来るだけ多くのことを思い出そうする時,私がペンブローク・ロッジ到着後のことで最初に思い出すのは−−(ペンブローク・ロッジ)到着後約一ケ月のことだったに違いないと思うが−−暖かい日射しをうけて(道路の)雪が解けつつある中歩いており,倒れた大きな西洋ぶなの木がノコギリで丸太に切られようとしているのに注意(注目)しながら歩いている情景(光景/映像)である。・・・。
  28. 私がちょうど6歳の時祖父が亡くなられ,その後まもなくして私たちは夏休みでパースシャー州のセイント・フィランスヘ行った。・・・。
  29. 私が7歳の時,祖母は数ヶ月間ロンドンに一軒の家を借りたが,私が以前より頻繁に(亡き)母の実家の人々に会うようになったのはその頃のことである。・・・。
  30. 私が12歳頃のある時,彼女(母方の祖母 Lady Stanley of Alderley→右写真)は私を部屋いっぱいの訪問客の前に立たせ,彼女が列挙した通俗科学の一連の本を読んだかどうかを私に質問した。・・・。
  31. 彼女は,自分が愚かなことだとみなす全てに対し,相当の軽蔑心を抱いていた。・・・。
  32. 彼女(母方の祖母 Lady Stanley of Alderley)には息子や娘が大勢いて,大変な大家族であった。・・・。
  33. 祖母(母方の祖母 Lady Stanley of Alderley)は恐るべき人物であったが,彼女にも限界があった。・・・。
  34. 話を幼少時代の思い出に戻すこととして,次にはっきり思い出せることは,私たちがボーンマスで過ごした1880年から1881年にかけての冬のことである。・・・。
  35. 11歳の時私は,兄を先生にして,ユークリッド幾何学を学習し始めた。・・・。
  36. 祖母は私が勉強しすぎないかいつも心配しており,私の学習時間をかなり短かくなるようにした。・・・。
  37. 私がとても楽しんだ別の遊びがあった。日曜日,リッチモンド・パークが多くの人でいっぱいになった時,自宅の土地のはずれに立っている大きなブナの木のてっぺんに登ったものである。・・・。
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