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バートランド・ラッセル書誌

III.B2.邦訳(単行書及び単行書の一部等)
及び 所蔵図書館

前ページ 所蔵館正式名称 ラッセル書誌・目次 次ページ
1920年
(15)
1.「過激派の実際と理論」 有川治助・訳
『日本読書会会報』n.3(1921年4月刊)p.163-196.
(15)の梗概
RC

2.ボリシェビーキの理論と実際 前田河広一郎・訳
三田書房 1921年7月 8,3,3,223p. 20cm.
第4章は、ラッセルの2番目の妻となった Dora Black が執筆したものであり、原著第2版(1949年刊)からは削除されている。
・前田河広一郎(まえだこう・ひろいちろう、1888年-1957年12月4日):宮城県出身の小説家。日本のプロレタリア文学の勃興期における指導者の一人

RC/国会

3.ソビエト共産主義 江上照彦・訳
社会思想研究会出版部 1959年5月 166p. 15cm. 
(現代教養文庫 n.240)
訳者解説(p.154-166):「バートランド・ラッセルについて」
RC/国会/阪大

4.ロシア共産主義 河合秀和・訳
みすず書房 1990年4月 145p. 19cm. 目次
RC/国会/その他所蔵館未調査

(0278)
1.「露西亜を訪ふの記」 訳者無記名
『調査時報』(大蔵省理財局)v.10,n.9(1920年9月)p.67-97.

2.「ソヴィエト露西亜,1920」 田辺忠男・訳
『財政経済時報』v.7,n.10(1920年10月)p.45-53 & v.7,n.12(1920年12月)p.43-45.

3.「労農ロシアを訪うて」 大山郁夫・訳
『我等』v.2,n.10(1920年10月)p.163-189.
(0278)の前半(=Nation, 31 July 1920)の訳
「ラッセル、クロポトキンの過激派観」(1)〜(3)のラッセルの部分

4.「ラッセルの露国視察−不安なるモスコウの日常生活−」 浦出雄二訳
『実生活』n.51:1920年12月号,p.28-33.

(0281)
1.「論理哲学論考解題」 藤本隆志、坂井秀寿・共訳
『論理哲学論考』(法政大学出版局、1968)p.29-51.

2.「バートランド・ラッセルの序文」 山元一郎・訳
『ラッセル、ウィトゲンシュタイン、ホワイトヘッド』(中央公論社版・世界の名著・第58巻、1977)p.307-325.

(****)
支那の第一印象−北京にて
『大阪毎日新聞』1920年(大正9年)12月5日〜6日.
* 「ベルトランド・ラッセル」と表記されている。


1921年
(16)
心の分析 竹尾治一郎・訳
勁草書房 1993年3月 ix,394,xp. 20cm. 目次
RC/国会/その他未調査

(****)
「愛国心の功過」 改造編集部・訳
『改造』v.3,n.1(1921年1月)p.3-14.
検閲のため、ところどころ抹消あり。
『改造』に寄稿した最初の論文。他の論文には原文がつけられているが、これだけはなし。Russell Archives館長であった Kenneth Blackwell 博士からも何度か問い合わせがあったが、改造社は戦後まもなく解散したため、ラッセルの原稿がどうなった不詳。(その後鹿児島県川内市の「川内まごこ文学館でラッセルの原稿を所蔵していることが判明したが、未調査)

(0284)
「過激派露西亜の前途」 改造編集部・訳?
『改造』v.3,n.2(1921年2月)p.2-17.
目次では、「露西亜過激派の前途」となっている。

(0285)
「現下の混沌状態の諸原因」 改造編集部・訳?
『改造』v.3,n.3(1921年3月)p.2-22.

(0286)
「社会組織良否の分岐点」 改造編集部・訳?
『改造』v.3,n.4(1921年4月)p.179-197.

(0287)
「ラッセルの支那産業開発論」 川村宗嗣・訳(及び解説)
『満蒙』v.6,n.11(通号n.67:1925年11月)p.30-44.

(0288)
「工業主義の内面的*傾向」 改造編集部・訳?
『改造』v.3,n.9(1921年8月)p.2-16.
p.1 にラッセル来日に対する改造社の歓迎文(英文)'Welcome to the Hon B. Russell' が掲載されている。その前のページには、ラッセルとドラの写真あり。なお、「内面的」は誤植で、正しくは「内在的」。

(0289)
「工業主義と私有財産」 改造編集部・訳?
『改造』v.3,n.10(1921年月)p.71-80.
抹消多し。

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