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(巻頭言) 江上照彦「思想と実践」

* 出典:『日本バートランド・ラッセル協会会報』第11号(1968年10月刊)p.1 掲載
* 江上照彦は当時、相模女子大学教授、ラッセル協会理事

* 一部産学連携が盛んな分野を除いて、日本においては、学者と政治家とは水と油のような関係にある場合が少なくない。学者・研究者からみれば政治家は理論に弱く(論理がいいかげんで)、権力志向が強いと映る一方、政治家からみれば学者・研究者は、間違いを恐れずに、言うべき時に言わない(材料がそろって、大丈夫そうだという段階にならないと突っ込んだ発言をしない)、責任感が乏しく、傍観者的なところがある、と映る。
 ラッセルは、若い頃に、学者として、論理学や理論哲学のような厳密な研究と、日常的な社会事象や人間の問題の具体的な研究とを同時並行してやる決意をしており、それは将来的には自然に1つの体系にまとまると予想していた(結局それは実現しなかったが・・・。)。この限りにおいてラッセルは、江上氏が希望する「書斎人」であったと言える。しかし、第一次世界大戦の勃発により、戦争は悪しき政治家によって民衆に押し付けられるものではなく、民衆自体の人間性や悪しき情熱にも大きな問題があることをさとり、学者というよりは一人の人間として、社会的実践や政治的活動に積極的に係わるようになっていった。
 ラッセル研究者や愛好家のラッセルに対するイメージは様々である。無理もないことであるが、自分の好みでラッセルのイメージを捉える人が多い。(故)市井三郎氏は、哲学者ではあるが、社会科学にも明るく、一部ラッセルの予防戦争論の発言は不用意ではあったとしながらも、ラッセルの社会思想や実践を非常に高く評価している(碧海純一氏も同様である。)。私も同様の意見を抱いている。(松下7)

*市井三郎「旧い思想・慣行打破のために闘う
*市井三郎「>人類の知的遺産v.66『ラッセル』へのまえがき
*市井三郎「ラッセルと日本


ラッセル協会会報_第11号
 都立大学教授のS君(松下注:(故)関嘉彦は、最近いろんな集まりや会の多さに辟易して、これではとんと勉強ができない、以後は「残酷なまでに集会を断ち切って」、研究と著述に没頭したいと、あるときその覚悟を語った。なるほど、以後さっぱり彼に会わない。この夏は、信州富士見に引っ込んで、専門の英国社会思想史か何かに取組んでいるらしかった。
 そのS君が突然上京した。といっても、それ自体べつだんふしぎはないが、出てきたわけが、例のソビエトの理不尽なチェコスロヴァキア侵入を知っては、とても避暑地なぞにじっとしてはいられない気になったからで、着くとさっそくデモの先頭に立ってソビエト大使館かどこかへ行進したというのだからおどろき、かつ感動した。人づてに聞いた話だが、まさか嘘ではあるまい。私同様に低血圧で胃弱でヒョロヒョロした身体のどこにそんな情熱が宿っていたのか? ひごろ温和でいんぎんで紳士の標本みたいな彼のどこに、そんなたくましさがあったのか?

 さて、こんなことを書くわけは、理性と実践思想と行動または運動というぐあいに、人それぞれに独自の得意の型があって、それを貫くことがより良く生きるゆえんだとかねて思っているからである。思想家でありながら同時に運動家であるという統合が、見事に成就されているようなのはレーニンくらいのもので、他はおよそ一を得ればむしろ一以上を失う感じである。正直いって、バートランド・ラッセル卿の場合もそうである。
 「合理主義者、不屈の不可知論者、政治科学者、社会学者、オールド・リベラリスト、進歩主義者、天才的で光の閃めくような独創的思想家・…:」(『ザ・タイムズ』紙)などなど、多面体に似た彼の偉大さについては今さら言うまでもない。しかし、彼を偉大たらしめたものが、がんらい行動でなくて、その書斎における冥想と思考の成果だったことは間違いない。

英国国防省前での座り込みデモ:バートランド・ラッセルと百人委員会の面々と警備にあたる警察官達  ラッセルが、熱心に "運動" に乗り出したのは、(かつての良心的参戦拒否者の時期を除けば)核兵器の出現以来と見てよかろう。彼の平和アピールは各方面にいちじるしい影響をおよぼしたし、世界科学者会議の提唱と指導や百人委員会の組織と運動もたしかに強くかつ広範な衝撃を与えた。ことにヴェトナム戦争に関して設けられた国際法廷(ラッセル法廷)で、ジョンソン大統領らの戦犯をさばくもくろみや、彼がロンドンのどこそこで演説したり坐りこんだりした烈しい気迫は、天下の耳目を聳動(しょうどう)した。しかし、そのおどろきは、あの老哲人ラッセルが、というわけなのである。意外だから、びっくりするのである。その運動自体は案外微弱で、ニュースにはなっても、如実に世界を動かす力にはなりえないのかも知れない。
 ゆらい真の運動家は鈍重で、粘り強く、いわば盲滅法である。そうなるにはラッセルは知性が過ぎ、鋭すぎる。彼の運動なるものは、時々にひらめく思考の火花ででもあるかのようだ。しょせん、彼は現実的運動家ではあるまい。最近の新聞で、例の百人委員会を解散したという記事を読んで、まことに結構と思った。真にラッセルにふさわしい仕事は、やはり彼の書斎の中にあるように思われてならない。S君が富士見の山荘を飛び出して、東京のデモに加わったことを聞いて、ついこんな連想にまで至った次第である。