バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )


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 この頃、私は英国政府にとって「好ましい人物(persona grata)」であった。なぜなら、核戦争に反対していたが共産主義にも反対していたからである。しかし、後に、私は1953年のスターリンの死及び(米国による)1954年のビキニ環礁における核実験によって、共産主義により好意的な立場に変わっていった。そして、核戦争の危険を、次第に、ロシアよりも西側諸国とアメリカに帰するようになっていった。このような変化は,マッカーシズム(赤狩り)や市民的自由の制限のような、アメリカの国内事情の進展によって後押しされた。

At this time I was persona grata with the British Government because, though I was against nuclear war, I was also anti-Communist. Later I was brought around to being more favourable to Communism by the death of Stalin in 1953 and by the Bikini test in 1954; and I came gradually to attribute, more and more, the danger of nuclear war to the West, to the United States of America, and less to Russia. This change was supported by developments inside the United States, such as McCarthyism and the restriction of civil liberties.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 1: Return to England, 1969
More info.: https://russell-j.com/beginner/AB31-080.HTM
<寸言>
 共産主義国に「より好意的な立場に変わっていった」といっても、もちろん、戦争と平和の問題(国際政治の問題)に限定しての話です。ラッセルは自由をとても重要視するので、共産主義国における自由の制限は我慢がならないという気持ちは変わりません。そのことを理解しない人がけっこういて、ラッセルを共産主義者だとか、共産主義のシンパだと決めつけたりします。
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