バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )


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 競争は最高の美徳であるという信仰(思い込み)のため,少年少女も青年も過酷な緊張にさらされるべきではないということに,誰も思いいたらなかった。仮に、緊張は単に知的なものだけであったとしても十分悪いが,(実際は)感情的な緊張もまた加わるのである。即ち,少年少女の全将来は -経済的な将来だけでなく社会的な将来も- 長い間の準備の後のほんの短時間の試験で左右されてしまう(という感情的な緊張がある)のである。

Belief in the sovereign virtues of competition prevented anyone from reflecting that boys and girls and adolescents ought not to be subjected to the very severe strain involved. If the strain were only intellectual it would be bad enough, but it is also emotional: the whole future of a boy or girl, not only economically, but socially, turns upon success in a brief test after long preparation.
Source: Bertrand Russell: Education and the Social Order, 1932, chap.12: Competetion in Education
More info.:https://russell-j.com/cool/30T-1201.HTM

<寸言>
 新しいものを生み出す(創造する)競争であれば問題はありません。しかし、限られたもの(天然資源、地位・役職、大学の入学枠、その他いろいろ)を奪い合う競争には多くの弊害が生じます。そういった競争は、一部の人に幸福や優越感をもたらし、多くの人に不幸や劣等感をもたらします。

 たとえば、大学受験の場合も、人口が減り希望者全員が入学できるようになれば過酷な競争は減っていきます。しかし、評価の高い大学に入ろうと望めば、どうしても受験競争に巻き込まれてしまいます。大学のほうも、単なるペーパーテストの成績だけでなく、一芸入試・有益な体験(世界各国での経験)の評価・加点など工夫していますが、受験者が多い場合は限界があります。先日、某新聞の投稿欄に、貧しい家庭に育ち予備校にも通えなかったが努力して東大に合格した学生の投稿(ペーパーテストの擁護)が載っていました。「いろいろな経験を評価しすぎること」に対する否定的な意見(貧しい若者はいろいろな経験などできない!)をのべていました。

 「何度でも挑戦できる」社会の実現を強調する政治家は多いですが、何度でも挑戦する経済的余裕のない人の方がずっと多くいます。3,4回受験してようやく医者や弁護士への階段に登れる人がそこそこいますが、通常は1浪が限界です(医者の子供は何千万円も親に"投資"してもらえます/医者になれば"回収"できます!)。岸田総理や安倍元総理(故人)のような「世襲」政治家にそのような気休めを言う人が多いように思えますが、気のせいでしょうか? 「世襲」政治家ばかりが総理大臣になる日本にしたのは、有権者である国民そのものですが・・・。

#バートランド・ラッセル #Bertrand_Russell