バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

ラッセル英単語・熟語1500

 「哲学」とは「知恵への愛(知恵を愛すること=愛知)」を意味しており、技術者が発明し、技術者から手渡された新しい力を普通の(一般の)男女が使うことで、人類を恐るべき大変動に陥れないためには、この意味での哲学を身につけなければならない。しかし、一般教養の一部であるべき哲学は、専門家の哲学と同じものではない。哲学に限らず、あらゆる学問研究の分野においては、文化的価値のあるものと、専門的な興味しかないものとの区別が存在している(のである)。

"Philosophy" means "love of wisdom," and philosophy in this sense is what men must acquire if the new powers invented by technicians, and handed over by them to be wielded by ordinary men and women, are not to plunge mankind into an appalling cataclysm. But the philosophy that should be a part of general education is not the same thing as the philosophy of specialists. Not only in philosophy, but in all branches of academic study, there is a distinction between what has cultural value and what is only of professional interest.
Source: Phlosophy for Laymen, 1946
Reprinted in Unpopular Essays, 1950
More info.: https://russell-j.com/cool/UE_1950.pdf

<寸言>
 科学時術は、人類社会をかつてないほど豊かにできる力や可能性を持っています。しかし、それとは反対に、人類をかつてないほど惨めな状態にする力や可能性も持っています。大学の一般教養の哲学(の授業)は、ラッセルが言うように、哲学専攻者が学ぶような哲学の入門篇であってはならず、「知恵を愛する」精神のもと、論理的思考能力を養うものでなくてはいけません。そのような授業ができている教員はどれだけいるでしょうか?

 政財界等の権力者が、知恵をもたず、ただ科学技術を悪用あるいは下手に利用することによって、原発事故、核戦争、遺伝子操作による人間の選別、AIとロボットの悪用による人間の疎外化、その他の弊害が生まれてきます。

 岸田総理が突如言い出した「原発の最大限の活用」への復帰を例にとってみましょう。「可能な限り安全対策をとる」と為政者の多くが主張し、国民のなかにも原発の活用は仕方がないとする国民(原発から離れたところに住んでいる人々)も少なくありません。そうであるなら、(地産地消の精神のもと)東京や大阪などのエネルギーの大消費地の地盤のしっかりしたところに最高度の安全対策をして原発を建設したらどうかと言えば、「それは危険すぎる!」と反対されます。福島原発の水蒸気爆発の時は東京も放射能で汚染される危険(可能性)がかなりありましたが、運良く(風の向きも北西であったため?)、関東地方にはほとんど影響がありませんでした。そうして、福島の原発を諦めた現在、今度は、東京への電源供給を新潟の柏崎原発の再稼働によって行おうという計画です。新潟だったらもし原発の大事故が起こっても東京は大丈夫だろう(暗黙の了解)とのことです。
 後は、事故が起こっても「想定外」の事故ということでほとんどの為政者が責任をとらなくてすみます。「国民もみな支持したではないか!」あるいは「国民もあまり反対しなかったではないか!」ということで、「国が責任をもって」(税金をいっぱい使って)被害にあった方々を救います、ということになりそうです。

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