バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )


 それから一カ月後,私達夫婦が北ウェールズでの午後のドライブから帰宅すると,我が家の玄関先でオートバイにまたがっている,とても当惑していいるけれども感じのよさそうな巡査部長を見つけた。彼は,(1961年)9月12日にボウ・ストリート(ロンドン中央警察裁判所)に出頭するようにとの召喚状を私達夫婦に手渡した。それは一般民衆を煽動して市民的不服従運動にかりたてたということで出されたものであった。・・・。私はそのことで殉教者になることを少しも望まなかったが,我々の考え方を一般に知らせるためにいかなる機会も最大限にに活用すべきであると思った。私達の投獄がある一定の騒動を引き起こすだろうということを理解できないほど私達は無垢ではなかった。

A month later, as we returned from an afteroon's drive in North Wales, we found a pleasant, though much embarrassed, Police Sergeant astride his motorcycle at our front door: He delivered summonses to my wife and me to be at Bow Street on September 12th to be charged with inciting the public to civil disobedience.... I had no wish to become a martyr to the cause, but I felt that I should make the most of any chance to publicise our views. We were not so innocent as to fail to see that our imprisonment would cause a certain stir.
 Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 3
 More info.: https://russell-j.com/beginner/AB33-220.HTM

<寸言>
 ラッセルは短期の投獄ならむしろ反核運動の宣伝になるのでよいと考えていました。しかし、ラッセルはこの時89歳ですので、長期間の投獄はもちろん望んでいませんでした。
 夫婦とも「禁固2ヶ月の判決」が出されますが、世論から非難の声があがり、結局、2週間に減刑されました。その2週間でさえも、刑務所付属の病院に入れられ、何をやってもよいが外部に向けて反核アピールなどをだしてはいけないという、非常にゆるい「禁固」でした。
 第一次世界大戦時にも反戦運動で約5ケ月間投獄されましたので、「前科二犯」ということになります。

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