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1921年11月(16日)(注:ラッセル49歳),初めての子供が生まれると,それまでこらえていた感情が一気に解放されたのを感じ,それに続く10年間は,私の主たる目標は親であることであった。親としての感情は,自分で体験してわかったことであるが,非常に複雑である。第一に,そして最も主要なのは,全く動物的な愛情であり,幼い子供の振る舞いで魅力的なものを見守る喜びである。第二に,どうしても逃れることのできない責任感であり,それは懐疑論が容易に異議を唱えることができない日常活動(日常生活)に一つの目標を与えてくれるものである。第三に,非常に危険な,利己主義的な要素がある。・・・こうした気持ちを私はことごとく経験した。そして数年の間(松下注:ドーラとの関係が複雑になるまでの間)それは,私の人生を幸福と平和で満たしたのである。
When my first child was born, in November 1921, I felt an immense release of pent-up emotion, and during the next ten years my main purposes were parental. Parental feeling, as I have experienced it, is very complex. There is, first and foremost, sheer animal affection, and delight in watching what is charming in the ways of the young. Next, there is the sense of inescapable responsibility, providing a purpose for daily activities which scepticism does not easily question. Then there is an egoistic element, which is very dangerous. ...All this I experienced, and for some years it filled my life with happiness and peace.
Source: The Autobiography of Bertrand Russell, v.2
More info.:https://russell-j.com/beginner/AB23-150.HTM
<寸言>
ラッセルは、このような状況下において、本書の『教育論』(On Education, especially in early childhood, 1926)を執筆・公刊し、その自分の考えを実践するために、妻ドーラととも、実験的な幼児学校 Beacon Hill School を創設し、経営・運営することになります。(そのために、Surry 州にある兄の別荘を借りて校舎としました。)
入園してきた生徒には、問題児もかなり含まれていたとのことです
ラッセルは自分の子供を他の生徒よりもえこひいきしてはいけないということで、親としての感情と教師としての感情の間に葛藤が生じるとともに、ラッセルの子供の視点から見ると、他の生徒の前では子供として親に十分甘えることができないというフラストレーションがありました。
また、学校の運営資金を稼ぐために、お金になるアメリカへの講演旅行(数度)や一般向けの本(『相対性理論入門』『結婚論』その他)の執筆などに忙しく、ラッセル自身は、子どもの教育にあまり時間をさけなかったという事情もありました。
この実験学校がどれだけうまくいったかどうかの評価は難しいところです。
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