信念は,単に伝統的なものでない場合には,それはいくつかの要因の産物である。それらの要因には,欲求,証拠,繰返しがある。欲求も,証拠も,いずれもゼロであれば(なければ),信念は生れてこないであろう。(一般人に)外部に対する主張(outside assertion 対外的な主張)がまったくない場合には,宗教の創始者とか,科学上の発見者とか,狂人のような例外的な人物(characters 複数形になっていることに注意)の中においてのみ,信念は生じるであろう。社会的に重要な何らかの大衆的信念を生みだすには,上記の三つの要素(欲求,証拠,繰り返し)が全てある程度なくてはならない。
Belief, when it is not simply traditional, is a product of several factors: desire, evidence, and iteration. When either the desire or the evidence is nil, there will be no belief; when there is no outside assertion, belief will only arise in exceptional characters, such as founders of religions, scientific discoverers, and lunatics. To produce a mass belief, of the sort that is socially important, all three elements must exist in some degree.
情報源: Power, 1938.
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/POWER09_070.HTM
<寸言>
生まれつき体が弱いとか,極貧の家庭に生まれたというのでないかぎり、体制や権力者にさからわず、小市民的な生活に満足し決められたルールに従っていれば,通常,大きな不幸に見舞われることはない。しかし、特に若い時はそういった状態に満足できる人は少ない。 為政者や権力者はそういった大衆の気持ちをつかみ、自分に従っていればよい夢をみることができると「繰り返し」宣伝につとめる。それに成功した者は、いろんな分野、特に政治の世界で権力をにぎることができる。