ロシアでも,飢饉はたびたび起こった。そして,1921年の飢饉は,いまだに全ての人々の記憶に新しい。私が1920年に中国にいた時,中国のかなり広い地域が,翌年(1921年)のロシアの飢饉に負けないくらい深刻な飢饉に苦しんでいたが,(中国の飢饉の)犠牲者たちは,ヴォルガ川流域の犠牲者たちほどの同情を集めなかった。彼らの不幸は,共産主義のせいにすることができなかったからである(注:西洋諸国は,ロシアの飢饉を共産主義革命が1917年にロシアに起こったためだとした)。
Famines in Russia have been frequent, and that of 1921 is still fresh in the memory of everyone. When I was in China in I920, considerable portions of that country were suffering a famine quite as severe as the Russian famine of the following year, but the victims secured less sympathy than those of the Volga, because their misfortunes could not be attributed to Communism.
情報源: Bertrand Russell :Marriage and Morals, 1929
詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM17-040.HTM
<寸言>
現代でもアフリカなどで飢えに苦しんでいる人々は少なくない。しかし第二次世界大戦以前は、一部の先進国を除いて、飢饉はどこの国においても悲惨なものであった。
1921のロシアの飢饉の時の写真をネットで検索すると、飢饉のためカニバリズム(人食い)がロシアでも行われたことがわかる(食糧となった人間の頭の写真があったりして、正視することができない)。