バートランド・ラッセルの名言・警句( Bertrand Russell Quotes )

 このような極端に厳格な理論とともに,カトリック教義は,常に,教会が罪と考えるものに対して,ある程度の寛容さを有していた。カトリック教会は,普通の人間性では教会の戒律に基づいて行動をすることは期待できない,ということを認めてきた。そこで,たとえ姦通(私通)の罪を犯しても,当人がおのれの過ちを認め,告解(懺悔)をするなら,その罪を赦免する用意があった。この実際的な(実際上の)寛容さは,聖職者の権力を増大させる方法の一つとなった。なぜなら,聖職者のみが赦免を申しわたすことができたし,赦免がなければ,姦通(私通)には(来世において)必然的に永遠の地獄の責め苦を伴うから(課されることになるから)である。

Along with this extremely rigid theory, Catholicism has always had a certain degree of toleration for what it held to be sin. The Church has recognized that ordinary human nature could not be expected to live up to its precepts, and has been prepared to give absolution for fornication provided the sinner acknowledged his fault and did penance. This practical toleration was a method of increasing the power of the clergy, since they alone could pronounce absolution, and but for absolution fornication would entail eternal damnation.
 出典: Bertrand Russell :Marriage and Morals, 1929
 詳細情報:https://russell-j.com/beginner/MM05-090.HTM

 <寸言>
 アメリカのプロテスタントにおいては、離婚は比較的自由であるが、結婚中の不倫に対してどうしてあれほど厳しいかは、新教徒(プロテスタント)と旧教徒(カトリック)の違いを考えるとよく理解できる。