哲学と無縁の人は,常識,自分の時代または国籍による習慣的信念,あるいは、慎重な理性の協力または同意なしに自分の心に生い育ってきた確信、に由来する)偏見にとらわれて生涯を送る。そのような人にとっては,世界は明確で有限で明白なものとなってしまいやすく、ありふれた対象(日常的な物事)に疑問を抱くことはない。
The man who has no tincture of philosophy goes through life imprisoned in the prejudices derived from common sense, from the habitual beliefs of his age or his nation, and from convictions which have grown up in his mind without the co-operation or consent of his deliberate reason. To such a man the world tends to become definite, finite, obvious; common objects rouse no questions.
出典:The value of philosophy' in The Problems of Philosophy, 1912
詳細情報:http://russell-j.com/R601.HTM
<寸言>
哲学者,いや哲学研究者でさえ,多くの偏見にとらわれて生涯を送る。大学勤務の哲学者や哲学研究者も,自分の専門としていることに関してはできるだけ客観的に,偏見にできるだけとらわれないように思索をするが,その分野・領域以外は偏見でいっぱい,ということはめずらしくない。
哲学は,科学のような誰もが認める回答を与えることができなくても,人間を多くの偏見や先入観から解放し,思考を豊かなものにすることができる。また,科学は,目的や価値については何も語ることはできないが、哲学は,目的や価値についても思索をうながし,科学が提供する成果や技術的成果を有効に活用することにあたって,一定の役割を果たすことが可能である。
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