何らかの真面目かつ建設的な目的を持っている青少年は,目的の達成の途上で必要だとわかれば,自主的に多くの退屈に耐えるだろう。だが,建設的な目的は,娯楽と浪費の生活を送っている少年の精神の中では,容易には芽ばえない。なぜなら,そのような場合は,考えがつねに次の快楽に向いており,遠くにある目的達成には向かわないからだ。
A boy or young man who has some serious constructive purpose will endure voluntarily a great deal of boredom if he finds that it is necessary by the way. But constructive purposes do not easily form themselves in a boy's mind if he is living a life of distractions and dissipations, for in that case his thoughts will always be directed towards the next pleasure rather than towards the distant achievement.
出典:The Conquest of Happiness, 1930, chap.4:Boredom and excitement.
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/HA14-060.HTM
<寸言>
何でもよいから一生追求できる(建設t的な)目的や目標を持てるとよい。何が自分にとって一生追求して行ける目的や目標になるかは,いろいろ考え,試みているうちに(10年もすれば)はっきりしてくるだろう。
目標がきまれば,少しずつ努力していけばよい。1年では満足のいく状態にはならないだろう。3年努力してやってみてダメなら5年,5年でもうまくいかないのであれば,とにかく10年続けてみるとよい。10年続けることができれば後はそれほど努力しなくても,,一生続けられるのではないだろうか。
しかし人は誘惑に弱い。短期の利益をどうしても求めがちになる。
時間を大事にしない人も少なくない。生活があるので(生活費を稼がないといけないが),自由にできる時間の価値を過小評価する人が少なくない。