正義と不正とは一緒に(同時に)取り上げられなければならない。一方を強調し他を強調しないでいることは不可能である。さて(それでは),「不正」とは,実際(において),なんであろう。それは(不正とは),実際においては,群集によって嫌われている種類の行為である。それを不正と呼び,さらにこの概念を中心に入念な倫理体系を築いて,その嫌悪の対象に罰を加えることにおいて(に対して),群衆は自己の正当化を行なうのである。
Righteousness and unrighteousness must be taken together; it is impossible to stress the one without stressing the other also: Now, what is "unrighteousness" in practice? It is in practice behaviour of a kind disliked by the herd. By calling it unrighteousness, and by arranging an elaborate system of ethics around this conception, the herd justifies itself in wreaking punishment upon the objects of its own dislike,..
出典:Has religion made useful contribution to civilization, 1930
詳細情報:http://russell-j.com/beginner/0466HRMUC-170.HTM
<寸言>
歴史上、「正義」の名のもとにいかに多くの残虐なことが行われてきたことか。
この世は「正しい人間」と「悪い人間」からなっているわけではない。神(やキリスト)の名においていかに多くの不幸がこの地上にもたらされてきたことか。
「不正」を憎む心は大切。しかし,それが,「嫌悪の対象に罰を加えることに対し,自己の正当化を行なうこと」が主な動機である場合は,非常に醜い人間性を表すことになる。それゆえ,ラッセルが言うように,「正義と不正は,一緒に取り上げなければならない」。