バートランド・ラッセルの言葉366G_画像版
n.0025j (Nov. 25, 2016)
・・・その家は私たち夫婦と息子の子供たち(即ち,孫)が楽しい休暇を過ごすのに良いだろうと考えていた。その家は小さく,慎ましいものであったが,心地よい庭と小さな果樹園と多数の立派なブナの木があった(注:Routledge 版の unprententios は誤植/日高訳では'桃の木'になってしまっている。)。とりわけ,その家からは最高に美しい景観を眺めることができ,南に海,西はポートマドックとカナーヴォン丘陵,北はグラスリンからスノードン山への渓谷が見渡せた。私はその美しい眺めに魅了された。特にグラスリン渓谷の向こう側(反対側)にかつてシェリーが住んでいた家を眺めることができるのが気に入った。
Plas Penrhyn, that they thought would make a pleasant holiday house for us and the children. It was small and unpretentious, but had a delightful garden and little orchard and a number of fine beech trees. Above all, it had a most lovely view, south to the sea, west to Portmadoc and the Caernarvon hills, and north up the valley of the Glaslyn to Snowdon. I was captivated by it, and particularly pleased that across the valley could be seen the house where Shelley had lived.
出典:The Autobiography of Bertrand Russell, v.3 chap. 2: At home and abroad, 1969
詳細(PCサイト):http://russell-j.com/beginner/AB32-140.HTM
<寸言>
ラッセル夫妻が晩年に住んだプラス・ペンリンの自宅に行くには、ロンドン(Euston Station)を出発してから何度か電車を乗り換えて,かなりな時間をかけて(1980年当時は約7時間)Portmadog (Porthmadog)駅まで行く必要がある。駅からプラス・ペンリンまでは、はっきりした記憶はないが、1時間くらいだろうか。
ラッセルが亡くなってからは、エディス夫人が住み続けたが,彼女の死後,私が1980年夏に訪れた時は,アムネスティ運動をしている音楽家が住んでいた(ただし不在)。その後は、一時期ホテル(民宿?)になっていたが、現在では個人の家になっているようである。(上の写真:庭側から見たプラス・ペンリン。1980年8月に撮影。小さく写っているのが私。左側2階の窓が塞がれているのは、窓の数によって税金が異なるためらしい。)
http://humanistheritage.org.uk/articles/plas-penrhyn-wales/
キューバ危機の時には、ラッセルは,この地から、ケネディ大統領宛及びフルシチョフ首相宛に,お互い行動を自重するように呼びかける電報を何度か打電している。そのやりとりの詳細は、Unarmed Victory (London; Allen & Unwin, 1963. 155 p. 19 cm.)の中で詳しく述べられている。
http://russell-j.com/cool/60E-IDX.HTM