三浦俊彦による書評

★ エドワード・ハリソン『夜空はなぜ暗い?』(地人書館)

* 出典:『読売新聞』2004年12月12日掲載


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 夜空は暗い。当り前ですよね。太陽が地球の裏側に隠れているのだから。
 でもよく考えてみると、これは不思議なのだ。太陽がなくても、星がある。星々が無秩序に天空に散らばっているなら、そして宇宙がどこまでも広がっているなら、空のどちらを見ても視線は必ず星にぶつかるはず。となると、空全体が星の光で埋め尽くされるはずなのだ。
 十六世紀にこの謎が気づかれて以来、多くの科学者や思想家が各々の答えを提出した。古代ギリシャからの前史、ケプラー、ニュートン、現代宇宙論へいたる探求心の流れは感動的だ。十九世紀半ば、あのエドガー・アラン・ポーが「正しく明解な最初の解答」を発表していた、という事実にも一章分が割かれている。
 詩人ポーが主役の一人だったとは。私は興奮した。というのも、文系の学者や作家に宇宙論の話題を語りかけると、「ごめん。宇宙には興味ないんですよ」式の拒絶ばかり、いつもガッカリさせられてきたからだ。
 文学者は俗世の人間的なことに関わっていればよいとでも? しかし本書の描く壮大な宇宙観史を眺めるに、「宇宙の果て」のような、日々の雑事とは無縁なところへ向かう想像力こそ、人間だけが持つ、真に「人間的な」性質であると思い知らされるではないか。
 最終頁には、夜空の闇に対する十五通りもの解答を整理した表が載っている。その中に正解は二つしかない。ちなみにポーの出した正解は、「星の年齢が十分でないため、遠くからの光はまだ届いてきていない」。
 ポーの時代とは違い、科学が専門化した現代では、素人が洞察を誇れるチャンスはなさそうな気もする。しかし宇宙に限らず、非専門家の感性が通用するフロンティアはまだまだ残っているのではないか。誰もが科学者なみに世の謎に向きあい、生まれ持った好奇心に溺れてよいのだ、と快く誘惑してくれる本だ。長沢工監訳。

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