< 三浦俊彦による書評:ジョンジョー・マクファデン『量子進化』(三浦俊彦の時空)
      

三浦俊彦による書評

★ ジョンジョー・マクファデン『量子進化』(共立出版)

* 出典:『論座』2003年12月号掲載


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 インターネットで、科学ファンや哲学ファンの議論が活発化している。中でも人気の主題は、量子論と進化論。まさにこの二つを結びつけた本書は、ネット論客たちの虎の巻になるだろう。現代物理学・生物学の基礎を解説した啓蒙的側面あり、新説を大胆に提示した側面あり。そして最も重要な側面は、「人間原理」をテーマに据えていることである。
 宇宙論と生物学をつなぐ「人間原理」は、日本ではまことに無惨な紹介をされてきた。松田卓也、桜井邦朋、池内了らの間違った宣伝や批判によって、「人間原理=意識中心の目的論」といったイメージが拡大再生産されているのだ。本来の人間原理は全く逆で、「普遍法則や方向性は単に見かけ上のもの」という思想だ。その人間原理への確かな洞察に基づく本書は、生物物理学の時代といえる今日、実に頼もしい啓蒙書なのである。
 本書の論旨は単純明快。生命の起源、進化、意識といった、現代科学が抱える最難問は、どれも量子力学を導入することで解決できるというのだ。ロジャー・ペンローズ『皇帝の新しい心』(みすず書房)以降注目を集めている巷の量子意識論からは距離をとりつつ、著者は独自の「脳内の意識的電磁場」理論を展開する。そして、生命の起源や進化にも同じ量子論的視点を適用するのである。
 一般に、生物細胞の出現は奇跡的な低確率の事件だったと考えられている。生物細胞誕生後も、通説である新ダーウィン説によれば、遺伝子変異は方向性なしにランダムに生じるので、人間のような複雑な意識を持つ知的生命へ進化する確率はとてつもなく低いとされる。
 ここで本書が説明のためまず呼び出すのが「人間原理」だ。知的生命が生ずる確率がゼロでさえなければ、広い宇宙のどこかで必ず、知的生命が偶然生じただろう。その偶然が一度でも起こればよい。その一度きりの知的生命である私たちが遡って観察すれば、生命誕生から進化まで、あたかも方向性を持った法則が働いていたかのように見えるだろう。
 さらには、多世界理論を使えばもっと強力な説明ができる。無数に実在する世界のうち、およそ起こりうる出来事はどこかの世界で必ず起きている。途方もない幸運により生命が誕生し意識へと進化した世界も必ずある。私たち知的生命は当然、そのような世界にしか居られない。その世界(つまりこの世界)の中で見れば、あらかじめ方向性を持つ法則にしたがって生物が進化してきたように見える。しかしそれは錯覚なのだ。デタラメに生じた無数の事柄が、観測によって篩にかけられ、生命の複雑化という見かけが自己選択されただけだからである。
 このような「人間原理」「人間多宇宙」は、偶然をうまく必然化する。物理法則上はとても起こりそうになかった出来事が、私たちの身辺では必然的に起きているという、客観的法則と主観的事実とのズレを納得させてくれるのだ。
 しかし面白いことに本書は、自らこの人間原理的説明をするたびに、「しかし不満だ」と付け加える。著者の気持ちが滲み出ている箇所を引用しよう。
 「人間原理の論理と争うことはできないが、生命はとてつもなく奇跡的に生まれたもので、われわれが宇宙全体でたった一つの実例のようだ、というのはとてもがっかりすることだ」
 「もしも地球外生命体が発見されれば、地球上の生命を説明するものとしての人間原理は葬り去られるだろう」「残念ながら、その望みは、科学的証拠からはほど遠い。地球外生命体の証拠なしに、人間原理に反論することはむずかしい」
 「悲しいことに、人間多宇宙理論は現存するデータと一致している」「しかし、私にはまだ納得できない。これは正直なところ、ほとんど利己的な理由によるものだ。私はいつの日かテレビで、本物の地球外生命体の映像を見たいと強く望んでいる。いつの日かどこかの実験室で、自己複製物質が発生するのに立ち会いたいと望んでいる」……
 そう、人間原理は科学者を不安に陥れる。人間原理によると、生命や意識の発生は、奇妙奇天烈な一度限りの事件であってかまわないのだ。二度目は必要ない。だから、異星人との邂逅や実験室での生命合成は期待できなくなってしまう。
 必然法則で生命を解き明かしたい生物学者として著者は、人間原理の強力な論理からなんとか脱しようともがく。そこで量子力学の出番だ。細菌に見られる「適応変異」(生存に有利な方へ突然変異が起きやすくなる遺伝子の傾向)などの現象に注目しつつ、「逆量子ゼノン効果」という特殊な量子作用によって、生命が複雑化する方向への進化が実現する仕組みが述べられる。偏光レンズ実験の喩えによる説明は詳しく、熱がこもっている。
 遺伝や進化を量子力学で説明する企てというのは、監訳者が解説で述べるように、いかにも怪しい。標準学説からも外れている。しかし、だからこそ本書は輝きを放つのだ。人間原理のシニカルな偶然論に対抗するには、逆量子ゼノンくらい斬新な生物学を創り出せなくてどうする、という挑発ないし覚悟表明として読めるのだから。あくまで究極理論の発見を目指し、最後のギリギリの地点でのみ人間原理に頼る姿勢を明言したS.ワインバーグやホーキングにも通ずる、さわやかな知の勇気を感じた。

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