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三浦俊彦による書評

★ 柴田正良『ロボットの心 7つの哲学物語』(講談社刊)

* 出典:『論座』2002年4月号掲載


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 遠未来には、人類の子孫(意識を持つ自己増殖ロボット)が宇宙全体をコントロールするようになるだろう、と宇宙物理学者フランク・ティプラーは予測する。キリスト教に束縛された欧米文明はロボットに未来を託すという考えをおぞましいと思いがちだが、日本人ならば機械を差別せずにどんどんやってくれるだろう、ともティプラーは述べている。
 というわけで、「ロボットの心」というのは、ロボット先進国・日本に期待がかかっているテーマなのだ。しかし、「ロボットは心をもてるか」と本書の著者が大学生に問いかけると、「学生の大半はあまり迷いもせずに「No」と答える」のだという。ではなぜNoと思うのか。その根拠を問い詰めていったのが本書だ。
 物質と心の関係は何か。記憶や知覚反応といった「機能」と「内面的意識」とは同じものか。生物細胞以外の素材で意識を実現できるか。ロボット論に即しつつ、「心の哲学」全般がコンパクトにまとまっている。「物理主義」「メンタリズム」「チューリング・テスト」「強いAI」「フレーム問題」「コネクショニズム」「クオリア」……よく耳にする、今が旬の概念群が、能率よく体系的に学べる理想的なお役立ち本だ。
 ただし本書は、「学ぼう」という読者よりも、「考えよう」という読者を想定している。中立の解説者席から著者が降りてきて、「ロボットが心をもつことは可能」という陣営に立って議論してゆくのだ。しかも、「心をもてる説」を擁護したり宣伝したりするためでなく、「哲学者や科学者たちが「可能だ」「不可能だ」と主張する論拠」を洗い直すための足がかりとしてである。
 もう一つの著しい戦略は、各章冒頭に、短いSF物語が置かれていることだ。人類絶滅後に騙しあいの会話に没頭する二体の機械。機械と間違えられた青年。意味不明の言葉の運搬を繰り返す刑罰。使命とは関係ない事柄を一つ一つ無視していく作業に手間取るロボット。機械じかけの完璧な楽隊を作った時計屋。一見荒唐無稽な幻想談ばかりなのだが、その中に実話が混じっていたりするのだから、人工知能テクノロジーもここまで来たかの感慨を誘われるというものだ。
 ただ、思考実験としての物語が先走りすぎたと感じられる箇所がないではない。とくに冒頭、人間転送マシンで旅行しようとする女性の話が、ロボットの心という主題とどう結びつくのか、著者自身本文中で認めるようになかなか明らかにならない。これによってのっけから、本書が実際以上に難解な印象を与えるのではないかと多少心配だった。しかしみるみる霧が晴れるように明晰になっていって、第4章ともなると、次のような超明快なフレーズが全体を取りまとめてくれるだろう。
 「〈何を考えなくてもいいか〉ということを考えずに、考えなくてもいいことをいかに考えないですますか」!  使える警句表現ではないか。「フレーム問題」と呼ばれるこの課題こそ、計算型コンピューターがなぜ壁にぶち当たったか、生物と機械はどこが違うか、など馴染み深い問題を解く鍵であることが説得的に論じられる。
 さて後半もたけなわになると、前半とは正反対の危惧が感じられてきた。なにか、すっきりしすぎているのである。名古屋学派特有の朗らかなユーモアも冴えてきて、そのぶん、心の哲学というものが実際以上に明快な営みであるような印象を与えてしまっているというか。
 実のところ、本書で著者が採用した立場は、「内的意識とは脳や身体の客観的機能に他ならない」という立場であり、業界用語で「還元的機能主義」と呼ばれる最も潔い理論である(正確には、「客観的機能の現われが同じならば内面の心も同じと〈見なす〉」という「便宜的・還元的機能主義」)。しかし、赤の感じや痛みの感じや甘さの感じといった「感覚質(クオリア)」は現代哲学の全分野を通じて最大の難物であり、イコール物質の機能、ときっぱり片づけてよいものなのかどうか。とりわけ、本書と同じ日に白揚社から出たD.チャーマーズ著『意識する心』(「非還元的機能主義」の大作)の、クオリアの不思議へのこだわりぶりに触れた読者にとっては、本書のわかりやすさは却って疑問を残すだろう。
 これもたぶん、必要以上に明快な言辞を投げることで、心ある読者にあえて疑念を抱かせ、まんまと哲学道に引き込んでやろうという著者の戦略に違いない。心ってほんとに、ただの物質のふるまいと同じものなのか? 鉄腕アトム~ドラえもん世代の日本人としては、一度は著者の挑発を受けて立つべきだろう。しまいに「感情はクオリア間の相互調整をする第二階のクオリア。善悪の感覚は感情の間の相互調整をする第三階のクオリア」といった、倫理学にまで越境した極明快な仄めかしでエピローグをまとめられてしまったのではなおさらだ。
 そう、あと一考。「ロボットの心」という反射鏡を使うと、人間の心をじかに論ずるよりも深い洞察が得られるのだなあ、という実感が、エピローグ最終頁の一頁あとに潜んで待っている。

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